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加藤九祚の
『ユーラシア文明史』[LINK]、
『シルクロード文明史』[LINK]に続いて『天の蛇』を読んだ。
『完本 天の蛇:ニコライ・ネフスキーの生涯』(加藤九祚/河出書房新社/2011.4)
ネフスキー[LINK](1892-1937)はロシアの東洋学者である。1915年、ロシア帝国の官費留学生として日本に留学し、23歳から37歳までの14年間を日本で暮らし、1929年にソ連に帰国する。日本では柳田国男、折口信夫ら多くの研究者と親交を深め、日本人女性(イソ)と結婚し、女児(ネリ)をもうけた。イソとネリはネフスキー帰国4年後の1933年にソ連に渡る。ソ連で研究者として活躍を続けていたネフスキーは、スターリン時代の1937年に逮捕される。イソも同様に逮捕され、二人とも処刑された。名誉回復が成ったのは1957年である。
ネフスキーの伝記『天の蛇』は1976年に出版され、大佛次郎賞を受賞した。その35年後、新たな資料などを増補して出版したのが本書『完本 天の蛇』である。タイトルは、ネフスキーの宮古島での取材に基づいた論文「天の蛇としての虹の観念」に由来している。
本書を読んで驚いたのは、ネフスキーの民俗学、言語学、音声学への学識の深さである。柳田国男も折口信夫もスルーした門外漢の私は、本書が紹介する彼の業績を咀嚼できたわけではないが、学者の凄みを感じることはできた。日本語の論文も書いたネフスキーは、日本の民俗学に浅からぬ貢献をしていると知った。
ネフスキーは日本研究だけをしたのではない。西夏(タングート)語の研究でも多大な業績をあげている。旺盛な知的好奇心に感服する。
学問のことがよくわからなくても、この伝記は面白い。交遊録や家族の話が興味深いし、何よりも悲劇的な最期に暗然となる。ソ連に帰国せず日本に残っていればと考えても、その後の歴史を考えれば何とも言えない。人の運命は生きた時代や場所によって大きく左右される――そんな運命論めいた諦観におそわれる。
先日読んだ『ユーラシア文明史』には、著者が1972年(名誉回復後)にレニングラードでネフスキーの娘(当時44歳。医師)に会った話が載っていた。本書はその1972年の訪問記も収録している。
増補版には、それからさらに20年後の1992年(ソ連崩壊の翌年)にネフスキーの娘が発表した「両親について」という文章が載っている。両親が処刑され「人民の敵の娘」となった筆者の追憶は興味深い。1991年になってKGBの捜査資料が公開され、両親の死の記録を読むくだりは心ふるえる。二人は逮捕から約1カ月後の1937年11月24日に銃殺されていた。1976年版『天の蛇』は、当時の当局発表に基づいてネフスキーの死亡を1945年2月としていた。それは虚偽だったのだ。
この娘の文章の次の一節が心に残った。
「両親の名誉回復後は気分的にずっと楽になったが、明日はまた何か起こるか、という心配は絶えなかった。」
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