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◎読書人・児玉清氏に誘われて
『大聖堂』という小説を購入したのは、故・児玉清氏のテレビでのトークを観たのがきっかけだから5年以上前だ。海外小説を原書で読む児玉清氏は、ハードカバーで1,000ページ近いこの小説を読んでいる途中で海外旅行に行くことになり、本書を持参しようとしたが、かさばるので断念したそうだ。ところが旅行中にも小説の続きが気になってしかたないので、旅先の書店で本書を購入し、続きを読んだそうだ。
あの坦々とした調子でそんなエピソードを語る児玉清氏の姿を観て、そんなに面白い小説なら読んでみたいと思った。ネット書店で調べると翻訳は文庫版全3冊で出ていたので、それを注文した。届いた3冊の文庫本はどれも600ページほどの厚さで、かなりのボリュームだ。カバーの紹介文で大聖堂を建築する物語だとの見当はついたが、厚さに圧倒され、これは気合を入れて取り組まねばならない本だと判断し、とりあえずは未読本の棚に積み上げた。著者のケン・フォレットは私には未知の作家だった。
◎読み出したらやめられないが----
そのまま数年が経過し、先日、ふとした気まぐれから『大聖堂(上)』を読み始めた。これが、じつに面白い。読む前は晦渋で重厚な中世の建築ウンチク物語を予想していたのだが、そうではなかった。波乱万丈ハラハラドキドキの壮大な物語で、すぐにその世界に引きずり込まれてしまった。児玉清氏が旅先で続きを読みたくて本書を購入したのも納得できる。
そんなわけで、かなりのスピードで『大聖堂(上)』を読了し、『大聖堂(中)』に移った。それを読んでいる途中でちょっと気になることがあり、三冊目の下巻を手にした。そして、私は重大なミスを犯したことに気づき愕然とした。
私が手にしている三冊目の文庫本は、いま私が読んでいる『大聖堂(中)』の続きである『大聖堂(下)』ではなく、『大聖堂』の続編『大聖堂 ― 果てしなき世界』の下巻だったのだ。『大聖堂(下)』と間違えて『大聖堂 ― 果てしなき世界(下)』を購入していたのだ。
下巻にだけ「果てしなき世界」というサブタイトルがあることには当初から気づいていたが、本書を購入する時には『大聖堂』に続編があるなどとは知らなかったので、何の疑いも抱かなかった。最終巻にのみサブタイトルを付ける趣向なのだろうと思っていたのだ。
◎間違えて購入した「(下)」をゲット
何はともあれ、読み出したらやめられない面白本の下巻がないというのは重大問題である。早急に『大聖堂(下)』を入手しなければならない。5年以上前に購入した本なの多少の不安があったが、ネット書店で在庫を確認し安心した。『大聖堂(下)』を注文するのは当然だが、それだけでは続編の(下)が宙に浮いてしまう。続編を読むか否かは本編を読み終えて判断するべきだが、行きがかり上しかたないと考え、続編の(上)(中)も同時に注文した。
ありがたいことに注文の翌日には手元に本が届き、『大聖堂(中)』を読み終えてすぐに『大聖堂(下)』に取り組めた。この手の小説は後半になるほど盛り上がり、息もつかせぬ展開になるので、購入ミスがあったにもかかわらず中断せずに波乱万丈の物語を読了できたのは幸いだった。
購入ミスに気づかずに下巻に突入していたらと思うとゾッとする。登場人物や時代背景が急に転換するのだから、かなり違和感を抱くはずだ。別の小説だと気づかず最後まで読むことはなかろうが、どの時点で気づくかはわからない。ミスに気づき、ハラハラドキドキしながら読んできた物語の先がすぐには読めないとわかった時、児玉清氏の海外での気分を切実に推測できたとは思う。また、続編を読みたいと思っても、(下)の冒頭部分の記憶を頭から消すのは至難だから興をそがれるのは間違いない。
◎日本語のタイトルに難あり
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