観劇前に澤地久枝氏の「早わかり本」を読んだ
2024-09-21


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ノンフィクション作家・澤地久枝の高名は承知しているが、その著作を読んだことがない。澤地氏について少し知りたいと思い、家人の本棚にあった次の新書を読んだ。

 『昭和史とわたし:澤地久枝のこころ旅』(澤地久枝/文春新書/2019.5)

 澤地氏の膨大な著作の抜粋で構成したコンパクトな「仕事集成&一代記」である。編者がまとめたものを澤地氏がチェックしたようだ。オビには「本書はわが人生のアンソロジーです」とある。

 この新書1冊で澤地氏の人生や考え方の概要を知った気分になる。と言っても「早わかり本」である。著作の1編も読まずにわかった気になってはイカンとも思う。

 近く『失敗の研究―ノモンハン1939』という芝居を観る予定があり、それが本書を読んだ理由である。チラシによれば、1970年のとある出版社の女性編集者・沢田利枝や大物小説家・馬場が登場する芝居らしい。フィクションだろうが、沢田利枝は澤地久枝、馬場は司馬遼太郎をモデルにしているように思える。観劇前に未読の澤地氏について少しは知っておきたいと思った。

 本書は1頁に1〜2編の抜粋を収録し、それぞれの抜粋に小見出しを付けている。短文の羅列だが、それを自然な流れで読める工夫がなされていて読みやすい。全体は次のような構成だ。

 序 その仕事を貫くもの
 T わたしの満州――戦前から戦中を過ごして
 U 棄民となった日々――敗戦から引揚げ
 V 異郷日本の戦後――わが青春は苦く切なく
 W もの書きになってから――出会った人・考えたこと
 X 心の海にある記憶――静かに半生をふりかえる
 Y 向田邦子さん――生き続ける思い出

 私には、著者の苛酷な体験を綴った「わたしの満州」「棄民となった日々」が興味深かった。著者は15歳のときに満州で敗戦を迎え、1年後に博多港に上陸している。戦中派の背負った背骨を感じざるを得ない体験談だ。

 印象に残ったのは、俳句に命を救われたという話である。戦時中に満鉄調査部事件で検挙された獄中の夫に妻が送った葉書には、中村草田男の俳句「〓瑰や今も沖には未来あり」が書かれていた。私の好きな句のひとつだ。この葉書は厳しい検閲を通過して夫の手元に届く。獄死を覚悟していた夫は、この葉書で生き延びる気力を得たという。

 私は、俳句に関しては桑原武夫の「第二芸術」にくみするが、第二芸術のもつ玄妙な力を認めざるを得ない。
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