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56年前に出た
『ヨーロパ中世(世界の歴史9)』[LINK](鯖田豊之)を読了し、この著者に次の話題書があると知った。古い本だがネット書店で注文できた。
『肉食の思想:ヨーロッパ精神の再発見』(鯖田豊之/中公新書)
1966年1月初版の中公新書である。私が入手したのは半年前の2024年10月に出た62版。初版以来58年間、改訂もせずに刊行が続いているようだ。驚きのロングセラーだ。1926年生まれの著者は2001年に亡くなっている。
本書のタイトルに懐かしさを感じた。本書が出た1966年頃、高校生の私は『〇〇の思想』という表題の本が流行していると思った。
『〇〇の思想』はありふれたタイトルかもしれないが、当時読んだ小松左京の「槍とヒョウタン――思想の流行について」(1966年9月刊行『未来図の世界』収録)というエッセイの印象が強いのだ。何冊もの『〇〇の思想』という本(『地図の思想』『戦後を拓く思想』『恥部の思想』『砂漠の思想』『饒舌の思想』『哄笑の思想』『テレビの思想』『核を創る思想』など)を取り上げたうえで、「思想の逆なでシリーズ」の続刊を提起し、「高橋和巳などの場合、『孤立無援の思想』より『思想の孤立無援』の方が、何やら彼のイメージがうかぶような気がします」と述べていた。
あの時代に『肉食の思想』が刊行されたのかと思うと感慨深い。
閑話休題。本書はとても面白かった。西洋中世史・比較史が専門の著者が、日本人とヨーロッパ人の考え方や感じ方の違いの由縁をマクロな視角で明解に論じている。目から鱗が落ちるようなスリリングな読書体験だった。ロングセラーなのも納得できる。
ヨーロッパ人は肉食、日本人は穀物食、その違いには地理的歴史的な理由があり、その違いが両者の精神構造の違いを形成している――というのが本書の骨子だ。食生活の違いから社会意識の違いを論じる手際は華麗なアクロバットのようでもある。読者である私は、あっけにとられて感心するばかりだ。
ヨーロッパは農業&牧畜、日本は農業のみ。その違いは気候にある。日本は温暖湿潤、それに比べてヨーロッパは寒冷だ。ヨーロッパと言えば三圃制だが日本に三圃制はないと思う。三圃制は春耕地、秋耕地、休耕地の3年周期であり、休耕地は牛などが草を食む牧畜地である。牧畜地は広い方が効率がいい。だからから耕地は集約されていく。
三圃制は連作障害を避ける手段である。だが、水田には連作障害はない。また、日本の気候では夏の雑草の繁茂が激しくて牧畜の餌にならない。ゆえに、日本は米という穀物が主食の文化になる。
日本に比べて牧畜のコストが低いヨーロッパでは農業と牧畜の併存が常態である。主食という概念もない。肉も乳も小麦も、入手可能なものな何でも食べる。小麦はそのままでは美味しくないので、粉にしてパンにして食べる。
牧畜が身近な肉食文化が、人間と動物を峻別し、人間だけが特別な存在だとする独善的な人間中心主義を生み出す。ナルホドと思った。結婚や愛情表現に関する指摘も面白い。牧畜が身近だと子供の頃から動物の性交渉を日常的に目にすることになり、それがおおっぴらな愛情表現につながるとともに、「結婚」を「キリスト教の秘蹟」として公認しコントロールする考えが生まれたそうだ。
そんな「人間中心主義のキリスト教」がヨーロッパの階層意識や社会意識を形成してきたと本書は説いている。人間中心主義は結構かもしれないが、その「人間」を「キリスト教徒のヨーロッパ人」だけと見なしているようなのだ。これはやっかいな問題である。
本書が展開する議論は非常に面白い。推論の積み重ねなので、その妥当性は私にはわからない。本書がどう評価されているかも知らない。しかし、ヨーロッパ社会と日本社会を比較検討するうえでの刺激的な材料になるのは確かだと思えた。
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