禺画像]
ローマ史家・本村凌二氏がオリエント史からローマ史に至る4000年の文明史を語る『地中海世界の歴史(全8巻)』。その第3巻を読んだ。
『白熱する人間たちの都市:エーゲ海とギリシアの文明(地中海世界の歴史3)』(本村凌二/講談社選書メチエ)
このシリーズの第1巻
『神々のささやく世界』[LINK]はオリエント文明の発祥からアッシリア帝国以前のBC1000年頃まで、第2巻
『沈黙する神々の帝国』[LINK]はアッシリア帝国とアケメネス朝ペルシアが盛衰するBC1000年頃からBC300年頃までを語っていた。
それに続く本書『白熱する人間たちの都市』はエーゲ文明に始まるギリシア文明の話である。時代はBC2000年頃からBC300頃までと長い。時間的には第1巻、第2巻に重なる。第1巻、第2巻で、メソポタミアを中心にイラン、アナトリア、シリア、エジプトなどに及ぶオリエント世界の歴史を眺め、それを踏まえてオリエント文明の西の辺境とも言えるギリシア文明を第3巻で語るという趣向である。
ギリシアから見ればオリエント世界は圧倒的な先進地帯だった。ギリシアがオリエント世界から影響を受けているのは確かだが、ギリシア文明を自分たちのルーツと見なす西欧人はギリシア文明の独自性にウエイトを置く傾向があるようだ。
「オリエントの優越性や先進性は古代ギリシア人には周知だった」と指摘した『ブラック・アテナ』(M・バナール)に言及した著者は、バナール説は日本人には理解しやすいと指摘している。古代のオリエントを中国、ギリシアを日本と見れば納得できるというのである。そのうえで、オリエントの影響とギリシアの独自性のどちらに重きをおくかは識者によって千差万別だとしている。
ペルシア・ギリシア戦争の頃のギリシアについては「ペルシアの優越性が、どれほどギリシア人の庶民生活のなかで感知されたいたかとなると、はなはだ心もとない気がする」と述べているので、必ずしもバナール説を支持しているわけではなさそうだ。
第1巻、第2巻と同じように、本書はいわゆる通史ではない。古代世界に生きた人々の心性の推移を探る心性史である。ギリシア文明の心性を探るこの巻は、ギリシアの心性の独自性に着目している。
ホメロスが書いたと言われる『イリアス』と『オデュセイア』の分析が面白い。『イリアス』から『オデュセイア』に至る過程で神のふるまいに変化があり、それは人間の感性の変化を映しているとの指摘である。オデュセウスは、目標達成のためには知力のかぎりを尽くし、策略を平然と実行する。それが、新しいタイプの人間の出現だとの指摘に、ナルホドと思った。先日読んだ
『アンナ・コムネナ』[LINK]で、アンナが父アレクシウス1世をオデュセウスに例えているのを想起した。
著者は、ギリシアにおけるポリスの誕生から衰退までを心性史の視点で描いている。それは「自由人」という自意識の誕生に始まり「傲慢(ヒュブリス)」から「報い(ネメシス)」に至るダイナミックなギリシア悲劇である。とても面白い。
民主政につての多面的な分析も面白い。平等の徹底という意味では軍事大国スパルタこそが民主主義を実現した国制だとの指摘に驚いた。
また、奴隷への言及も興味深い。プラトンやアリストテレスなどの哲人も「自然による奴隷」「生まれながらの奴隷」の存在を当然とてしていた。奴隷を「劣等な異民族」と見なしていたらしい。著者は「ギリシア人の心性と文明は奴隷制の上に成り立っていた」としたうえで「第二次世界大戦以前の近代史にあっても、国民国家の宗主国と植民地帝国の異民族支配が表裏一体をなしていたことに気づく」と述べている。古代史の課題が近代史でも克服できていなかったのである。
セコメントをする