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先日、日本中世史研究者の
本郷和人[LINK]氏の講演を聞いたとき、日本文化研究センター所長の井上章一教授が、日本に古代はなかったと説いていると知り、ヘェーと思った。で、次の本の読んだ。
『日本に古代はあったのか』(井上章一/角川選書/2008.7)
とても面白い刺激的な本だった。「日本に古代はなかった」と主張している。著者は歴史学者ではない。建築学から意匠論、風俗史に転身した研究者である。
「あとがき」では「いまさら古代をなくすわけにいかないだろう」と自説が受け入れられるのは難しいと認めている。そのうえで「日本史へ古代をもちこんでしまったことの意味は、考えなおしてほしいものだ」と提言し、自身のことを「アマチュアが、なまいきにも、プロにくってかかっていったのだ。」と述べている。
著者がくってかかっている相手は、日本史や中国史の研究者である。門外漢の私の知らない研究者の名前が多く出てくるが、歴史学の世界のアレコレが垣間見えて興味深い。著者は京都の学者である。議論の芸風は京都vs東京を強調して京都に与する形になっている。語り口は洒脱だが、かなりしつこい。
「日本に古代はなかった」と聞くと驚く。しかし、フランスにもイギリスにも古代はなく、歴史は中世から始まっていると指摘されると、ナルホドと思う。
本書は冒頭で中国史家・
宮崎市定[LINK]の学説を紹介している。宮崎市定は西欧史と中国史の並行性に着目し、西欧ではローマ帝国が滅亡して中世が始まり、中国では漢の滅亡で中世が始まったとしている。つまり、魏、蜀、呉の三国時代からが中世である。著者は、この時代区分を評価しつつ、なぜ、その区分を日本にまで広げなかったのかと苦言を呈している。中世の中国と交流のあった邪馬台国や奈良時代は古代でなく中世でいいのでは、ということである。
もちろん「古代」や「中世」が何を意味するかの議論も展開している。本書で面白いのは「関東史観」という言葉である。鎌倉武士を評価し、京都の公家を貶める史観である。
平安時代から鎌倉時代への変わり目は大したものではなかったと見る著者は、関東史観を、明治維新以降のゆがんだ見方だとして徹底的に批判する。東大の本郷和人氏はもちろん関東史観である。関西出身なのに関東史観になった司馬遼太郎に「お前もか」と慨嘆し、著者に深い影響を与えた
梅棹忠夫[LINK]までが関東史観に与したのを悲しんでいる。
私はまったくの門外漢だが、著者の主張にほぼ説得された。とは言うものの、古代か中世かというのは、どうでもいいような気もする。研究者によって定義や見方が変わるのは仕方ない。門外漢はそんな研究者たちの景色を楽しめばいい。
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