やはり、アタテュルクは興味深い人物だ
2023-11-12


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私がトルコ観光をしたのは15年前[LINK]だ。街のいたる所で建国の父アタテュルクの肖像や彫像に接し、アタテュルク像のマグネットを何種類か買った。それはわが家の冷蔵庫に貼ってあり、ほぼ毎日目に入る。だから、旧い知り合いのような気がする。

 書店の新刊コーナーで次の新書を見たとき、いつも肖像を見ているアタテュルクの事績について高校世界史程度の知識しかないと思い至り、躊躇なく購入した。

 『ケマル・アタテュルク:オスマン帝国の英傑、トルコ建国の父』(小笠原弘幸/中公新書/2023.10)

 購入後、2年前に読んだ『オスマン帝国』[LINK](中公新書)と同じ著者だと気づいた。あの本の終盤と本書の序盤がつながっていて、オスマン帝国終焉の様子をあらためて確認できた。

 トルコ革命を主導、トルコ共和国初代大統領になったアタテュルクは英雄・偉人のイメージが強い。本書は、そんなアタテュルクの実像に近い姿を描いていて、とても面白い。強烈なカリスマ創業社長の一代記のようだ。カリスマとは周辺の人々にとって、やっかいな存在である。振り回される側の苦労は絶えない。

 本書に食指が動いた理由のひとつは、先日読んだ『イスラム飲酒紀行』[LINK]だ。あの本の著者はアタテュルクを「世界史上でも稀に見る活動的なアル中独裁者」と書いていた。その真偽を確かめればと思った。本書にアタテュルクの飲酒に関する記述は多いが、アル中とは書いてない。大統領になった晩年、来客や側近と朝までラク(ブドウの蒸留酒)を飲みながら議論・歓談を続け、早朝に就寝、執務は午後からだったそうだ。

 アタテュルク(父なるトルコ人)という姓は晩年に議会から贈られたもので、出生時の名はムスタファ、あだ名がケマル(完璧な)、長くムスタファ・ケマルと呼ばれた。優秀で勉強熱心な軍人だった。トルコ革命は彼ひとりの事業ではなく、多くのライバルや同僚がいた。離反した支持者も少なくない。だが、権力闘争に勝ち残って指導者となる。本書で、その過程を初めて知った。かなりゴチャゴチャしている。

 彼が勝ち残った理由はいろいろあるが、明確な理念をもっていたことが一番だと思われる。それは政教分離の世俗主義、近代化という理念である。トルコ民族主義という理念も大きい。

 本書の終章「アタテュルクの遺産」では、2023年(今年だ)のエルドアン大統領再選にまで言及している。エルドアンは、アタテュルクが博物館に転用した聖ソフィア大聖堂を元のモスクに戻した。著者は次の文章で本書を締めくくっている。

 「アタテュルクが描いたトルコ共和国の理念が、いま大きく変容しつつあるのは明らかである。建国して2世紀目に踏み出そうとしているトルコにおいて、アタテュルクの遺産は、どのように受け継がれてゆくのだろうか。」
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