禺画像]
日経新聞の土曜夕刊の終面は「文学周遊」という半頁の企画記事である。古今の文学作品の舞台になった場所の訪問記に作品紹介を絡めている。
本日(1月28日)の「文学周遊」は、何と『果しなき流れの果に』(小松左京)だった。小松左京ファンの私にとって、小松左京の最高傑作だ。高校生のとき(1964年頃)に『SFマガジン』の連載をワクワクしなが読み、書籍になった後も何度か読み返している。
この長編、プロローグは恐竜が棲む太古の地球であり、物語は現代(1960年代)から23世紀に飛び、さらには43世紀になり、やがては時間と空間の果にまで進んでいく。そんな壮大なSF小説に、訪問すべき作品舞台があるのだろうか。もちろん、ある。この記事で紹介している和泉葛城山である。私は行ったことはない。
この小説には「エピローグ(その2)」と「エピローグ(その1)」があり、その素晴らしく印象的なエピローグの舞台が葛城山麓である。小松左京は、このエピローグについて森鴎外の『ぢいさんばあさん』をヒントにしたと述べている(『小松左京自伝』)。鴎外の短篇を読んでみたが、さほど似ているとは思わなかった。やはり、小松左京の独創である。
夕刊の記事を読んで、書棚の『果しなき流れの果に』をパラパラと読み返し、新たな小さな発見をした。
記事の見出しにある「それは長い長い……夢のような……いや……夢物語です……」は、この長編のラストである。記憶に残る印象的な述懐だ。ところが、手元の初版本(日本SFシリーズ/1966.7)を確認すると「それは長い長い――夢物語です……」となっていて、短い。私の記憶と違うのだ。連載時も初版本と同じだったのだと思う。手元の「ハヤカワJA文庫版/1973.3」と「ハルキ文庫版/1997.12」では、記事の見出しと同じ文に変わっている(「夢物語」に傍点)。初読の印象が再読で上書きされ、それが記憶に残っていたようだ。
セコメントをする