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古都アレクサンドリアの歴史を簡潔に描いた概説書を読んだ。
『アレクサンドリア』(E.M.フォースター/中野康司訳/ちくま学芸文庫)
本書の原著の刊行は100年前の1922年、第一次大戦終結から4年後の戦間期である。著者は著名なイギリス人作家で、第一次大戦中に赤十字の仕事に志願してアレクサンドリアに駐在、そのときに本書を書いたそうだ。当時のエジプトは独立したばかり、事実上イギリスの支配下にあった。
アレクサンドロス大王が築いた数多のアレクサンドリアのなかで最も著名なのがエジプトのアレクサンドリアだ。本書は、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の時代から20世紀までのこの都市の歴史を200ページ弱で概説している。要所を押さえた興味深い語り口で、時に辛辣、二千年以上をコンパクトに解説し、無味乾燥な駆け足ではない。学者の講義ではなく作家の文章だと感心した。
本書は次の全5章構成である。
第1章 ギリシャ・エジプト時代
第2章 キリスト教時代
第3章 哲学都市
第4章 アラブ時代
第5章 近代
私には7世紀までの第1〜3章が断然面白かった。エジプトは文明発祥の地のひとつである。だが、アレクサンドリアという国際都市の歴史はエジプト史とは別の独自なものだと本書で認識した。著者は「アレクサンドリア人はかつて一度もほんとうにエジプト人であったことはない」と述べている。
本書で勉強になったのは、古代のキリスト教史である。アリウス派、アタナシウス派、コプト教会、グノーシス派、単性論、単意論など、何度聞いても頭に入りにくいゴチャゴチャを具体的かつ批判的に面白く解説している。多少はすっきりした気がする。
意外の思ったのはヒュパティアへの低い評価だ。今年初めに
ヒュパティアに関する本[LINK]を読んだし、アレクサンドリアと言えばヒュパティアを描いた
映画『アレクサンドリア』[LINK]が思い浮かぶ。本書の著者は次のように述べている。
「彼女はムーセイオンで数学を教えていた中年婦人であり、いちおう哲学者でもあったけれども、その学説をうかがう記録はない」
「修道士たちは彼女をカエサレウムへと連れこみ、そこで彼女をタイルで八つ裂きにした。彼女自身はけっして偉人ではないけれど、しかし彼女とともに、ギリシャ精神は死んだのである。」
ヒュパティアの著作は、修道士たちに焼かれたせいか、何も残っていない。だから評価のしようがないのかもしれない。
著者は、虐殺されたことで彼女をフレームアップすることに抑制的である。修道士たちを「文明を極度に嫌い、思考能力に欠けた」集団と描き、主教の親衛隊でもあった修道士たちの蛮行を、日常的なものと見なしている。蛮行を容認しているわけではないが、ヒュパティア虐殺もワン・オブ・ゼムの蛮行と見ているようだ。
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