30年ぶりの『短篇小説講義』再読のてんまつ
2020-04-03


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筒井康隆氏の『短篇小説講義』(岩波新書)が出たのは1990年、30年前である。その増補版が昨年(2019年)夏に出た。

 『短篇小説講義 増補版』(筒井康隆/岩波新書)

 私は30年前にこの講義を読んでいる。海外の古典短篇を材料に短篇小説を論じた本との記憶はあるが、詳細は忘れている。増補版は筒井氏の自作短篇「繁栄の昭和」を題材にした章を追加している。筒井康隆ファンの私は当然「繁栄の昭和」を読んでいて、これはことさらに面白い短篇だったので、当然に増補版を購入した。

 購入した本の増補部分だけを読んでもいいのだが、どうせなら失念している本体部分も読み返そうと思い、そこで気づいた。この講義で取り上げている古典短篇のほとんどは未読だと。『短篇小説講義』は、材料の短篇の概要を要領よく紹介しながら講義を進める形になっていて、その短篇を読んでいなくても難なく読み進めることができた。

 この講義を読み返すなら、その前に題材となっている短篇をすべて読んでからにしようと思った。それらの短篇はすべて岩波文庫に収録されているが、わが書架にはない。それらを何とか入手し、該当する短篇を読んだうえで増補版にとりかかった。というわけで、購入から半年経ってめでたく『短篇小説講義 増補版』を読むことができた。

 この講義の材料になっている短篇小説は以下の通りである。

 「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」(ディケンズ)
 「隅の窓」(ホフマン)
 「アウル・クリーク橋の一事件」(アンブロウ・ビアス)
 「頭突き羊の物語」(マーク・トウェイン)
 「二十六人の男と一人の少女」(ゴーリキー)
 「幻滅」(トオマス・マン)
 「爆弾犬」(ローソン)

 30年前にこの講義を読んだとき、私が読んでいたのはアンブロウ・ビアスだけだった。本書では、これらの短篇を論じた各章の他に「サマセット・モームの短篇小説観」という章があり、そこではモームやチェーホフの短篇が取り上げられているが、それは私が読んだことのある有名作だった。

 上記の短篇はすべて19世紀の作品で、現代の私には読みにくいものも多い。どこが面白いのかよくわからない作品もある。一番面白かったのは、やはりビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」である(今回再読した)。

 材料短篇を読んだうえで『短篇小説講義 増補版』を読み返すと、筒井氏がこれらの短篇を取り上げた理由がよくわかる。この講義は創作の講義ではなく読解の講義であり、自分の読みの浅さ、鑑賞力の低さを思い知った。

 30年前にこの講義を読んだときは、短篇の概要紹介の部分を読みながら、これらは面白い作品だろうと想像しながら興味深く読み進めることができた。それは楽しい読書体験であった。

 しかし、材料作品をすべて読んだうえで臨んだ30年後の読書は、自分の読解力のなさがあらわになる、いささか悲しい読書体験だった。『短篇小説講義 増補版』そのものは面白いのだが。
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