『日本の近代とは何であったか』は目から鱗が落ちる本
2019-02-05


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◎後半が面白い

 友人から薦められて次の新書を読んだ。

 『日本の近代とは何であったか:問題史的考察』(三谷太一郎/岩波新書)

 学者がじっくりと書いた新書で歯ごたえがある。素人にはどうでもいいと思われるやや抽象的で退屈な解説から始まり、最初のうちは読みづらかったが途中から面白くなった。
 
 本書は次の4つの視点で日本の近代(幕末維新以降)を論じている。

 (1) なぜ日本に政党政治が成立したか
 (2) なぜ日本に資本主義が形成されたか
 (3) 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったか
 (4) 日本の近代にとって天皇制とは何であったか

 この4つの中の後半2つが面白かった。私にとっては新鮮で目から鱗が落ちる指摘が多かったからである。

◎植民地経営の難しさを知った

 私は朝鮮や台湾が日本の植民地だった時代を体験していないが、台湾で生まれた母親から当時の「よかった時代」の様子聞をいた記憶はある。そんな話などから、朝鮮に比べて台湾の植民地経営はうまくいっていたという漠然とした印象をもったこともある。

 しかし、よく考えてみれば植民地経営は生易しいものではない。ナショナリズムの胎動で植民地支配の破綻が見え始めてきた時代に、欧米から遅れて植民地支配に乗り出したのだから、日本の植民地支配には無理があったのだ。

 本書によって朝鮮総督が台湾総督より上位だったことを知り、植民地における法律の制定や教育政策の困難が了解できた。また、「民族主義」を超える「地域主義」なる概念が導入されたという話は興味深かった。

 植民地の時代が終わっても、あの時代に露呈した課題はグローバリズムの現代において参照すべきものが多いように思える。

◎天皇神格化と教育勅語の特殊性

 私は天皇制について深く考えたことはなく、関心も薄い。江戸時代には「お飾り」に近かった天皇を明治以降に神格化したのはアホなことで、それが軍国主義を推進したと思っている。

 本書によって、明治憲法による日本の立憲君主制がヨーロッパのものとかなり違うことを知った。天皇の神格化はアホな元勲によって推進されたのではなく、元から「機能」として意図されていたのである。

 明治憲法の制定者はキリスト教の伝統があるヨーロッパの憲法を日本に移植するにあたって、キリスト教に替わる「国家の基軸」を天皇とした。それで天皇は「神」になってしまい、不可解な国の形につながったようだ。

 本書は教育勅語制定の経緯を詳しく述べている。教育勅語が大臣の副署がない極めて特殊なものだということを本書で初めて知り、教育勅語が担った役割の大きさに驚いた。そんなに大したものとは驚きである。

 いまは象徴天皇制だが、国、国民と天皇の関係は依然としてわかりにくい課題である。そんなことも本書は提示している。
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