榎本武揚は科学技術のマイナス面にも直面していた
2018-11-26


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『榎本武揚と明治維新:旧幕臣の描いた近代化』(黒瀧秀久/岩波ジュニア新書)

 2017年12月に出版された榎本武揚に関するコンパクトな概説書である。榎本武揚は東京農業大学の創始者であり、著者はその縁で榎本への関心を深めた東京農業大学の教授である。

 本書には次のような一節がある。

 「2016年に行われた日経ホールでの榎本シンポジウム後、「蝦夷共和国」に加わった子孫で北海道在住の人々は、榎本のことを語り継ぐに際し、未だに“総裁”の名称を敬愛を込めて呼ぶと語られたことに驚きと歴史の重みを改めて感じざるをえなかった」

 これを読んで2年前に残念な思いをした記憶がよみがえった。ある日、新聞を広げると「東京農業大学創立125周年記念シンポジウム:創設者 榎本武揚を再評価する」という広告が目に飛び込んできた。榎本武揚がテーマとは珍しく、ぜひとも参加したい思った。しかし、日程が私の長期旅行と重なっていて参加申し込みを断念した。

 そんな個人的記憶再生もあり、本書を興味深く読了した。榎本の業績紹介をメインにした内容で、箱館戦争以降の業績に多くの頁を割いている。獄中で書き綴った“実践的ハウ・ツー集成”『開成雑俎』の紹介も面白い。その中の一例として「鶏や家鴨の卵を孵化させる方法」の記述を具体的に取り上げていて、農大関係者らしい着眼だと思った。

 コンパクトなジュニア新書ではあるが、加茂儀一の『榎本武揚』が触れていない事項もいくつか取り上げている。なかでも驚いたのは足尾鉱毒事件との関わりである。

 足尾鉱毒事件は榎本が農商務大臣の時の事件であり、榎本はその責任を痛感して農商務大臣を辞任した後、一切の公職から手を引いたそうだ。著者の黒瀬氏は、榎本がこの事件をどのように認識していたかについて考察している。西欧の科学技術に通暁した優れた技術者であった榎本は、科学技術がもたらすマイナス面にも直面せざるを得なかったのである。

 榎本武揚の生涯には歴史変動の時代の多様な課題が反映されている。
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