地図をチェックしながらカエサルの『ガリア戦記』を読む
2016-05-01


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これはガリア人とっては大きなお世話で、ローマ人を排除して自分たち部族だけでやって行きたいと思う人々が登場するのも当然だ。だから面従腹背の部族も現れるし、もぐら叩きのようにあちこちで反乱が起き、反乱の連鎖が発生したりもするのだ。

 『ガリア戦記』を読んでいると、ローマに抵抗するガリア人たちもよく頑張ったなあと思えてくる。それほどに公平に客観的に書かれているとも言える。やはり、カエサルは不思議な魅力をもった人物だ。

◎二つの訳文を比べれば…

 『ガリア戦記』は8年間の記録で全8巻、1年1巻の構成になっている。カエサルが書いたのは7巻までで、8巻目はカエサルの死後、秘書が書き足したものだ。岩波文庫版は7巻までだが、講談社学術文庫版は8巻まで収録している。講談社学術文庫版の分量が多いのは巻数が多いからだけではない。國原吉之助訳の方が近山金次訳より日本語が長くなっているようだ。

 國原吉之助訳は近山金次訳より日本語がこなれていてわかりやすい。それに親切である。理解しやすいよう、「注」にすべき事項を本文に補足している部分もある。

 例えば、古代ローマでは年を数字ではなく「○○と△△が執政官であった年」と表記するが、國原氏はあえて「○○と△△が執政官であった年、すなわち紀元前◎年」と訳している。カエサルが「紀元前」などという用語を使うはずないが、この方がわかりやすい。また、近山金次訳では指示代名詞になっている箇所が國原吉之助訳では具体的な部族名になっている訳文も発見し、訳者の心遣いを感じた。

 國原吉之助訳と近山金次訳では國原吉之助訳に軍配をあげざるを得ない。しかし、パラパラと両方を読み比べながらふと思った。ぶっきらぼうでブツブツと切れた愛想のない近山金次訳の方がカエサルの文体の魅力を伝えているのかもしれないと。小林秀雄が「読みづらい」近山金次訳からカエサルの文体の魅力を嗅ぎとったのは、その「読みづらさ」のせいかもしれない。ラテン語を解さない私には確かめようもないが。

◎部族の末裔の現代人はどう読むのか

 カエサルは『ガリア戦記』の4巻目、すなわち紀元前55年にはじめてブリタンニア(現在の英国)に上陸している。チャーチルは、これをもって「英国の歴史は、カエサルが上陸した時に始まった」と語ったそうだ。

 カエサルに攻め込まれたことが誇りかどうかはわからないが、現代の西ヨーロッパ諸国は、その歴史の起源を『ガリア戦記』の時代に見出そうとしているようだ。彼らのご先祖にあたる部族の面々がカエサルに抵抗したり協力したりしていた時代である。

 とすれば、現代のフランス人、スイス人、ベルギー人、イギリス人、ドイツ人たちは『ガリア戦記』をどう読んでいるのか興味深い。部族の人々に感情移入するのか、カエサルに共感するのか、どちらなのだろうか。

 そんなことを思って、わが日本のことを連想した。当時の日本は弥生時代中期、ガリア地域ほどにも発展していなかったかもしれないが、部族国家の時代だったようだ。中国は漢の時代だ。大陸からカエサルのような人が上陸してきていたら……などと考えて、日本史の起点が漢から金印をもらった倭奴國だと思い至った。わがご先祖の部族たちもガリアやブリタンニアのご先祖たちも似たような存在だったかもしれない。チャーチルの感慨がわかるような気がする。

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