「大世界史」という言葉に圧倒されつつ…
2015-12-21


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文春新書の『大世界史』(池上彰、佐藤優)が売れているようだ。対談本なので取っつきやすく、「現代を生きぬく最強の教科書」というサブタイトルも読者を惹きつける。私も購入して読んだ。新聞広告には「52万部突破」とあった。この広告をよく見ると、小さい字で「シリーズ累計」とある。どうやら同じ二人の対談本『新・戦争論』との合算部数のようだが、それにしても大した売行きだ。

 この新書はトピック中心のガイドブックで、世界史を網羅した教科書ではない。この対談を読んで世界史を修得できるわけではないが、私たちが生きている21世紀の世界を把握するには歴史を勉強しなければ、という刺激を与えてくれる魅力的な本である。

 この新書の売り上げ好調には「大世界史」というすごいタイトルが寄与しているかもしれない。そもそも「世界史」という概念自体が、空間と時間の広がりの大きさに眩暈を感じさせるのに、その上に「大」がついているのである。「大日本史」ならカラ威張りに思えるが、「大世界史」だと恐れ入ってひれ伏したくなる。

 「大世界史」という言葉には聞き覚えがある。およそ半世紀前に文藝春秋から出版された全26巻の歴史叢書のタイトルが「大世界史」だった。同じ出版社だから、あえて昔の叢書のタイトルを新書のタイトルに採用したのかもしれない。

 歴史叢書『大世界史』には多少の思い出がある。この叢書の刊行開始は1967年6月、私が高校を卒業して浪人していた頃だ。文藝春秋は刊行記念に第1巻『ここに歴史はじまる』の執筆者・三笠宮崇仁の講演会を開催した。天皇の弟がどんなことを話すのだろうというミーハー的興味から、私はこの講演を聞きに行った。会場は共立講堂だったと思う。

 約半世紀前に聞いた講演の内容は憶えていないが、三笠宮が貴族や支配層を客観的に語る普通の学者に見えたのが印象深かった。世界史が得意でもなく受験科目にも選択していなかった浪人生の私は『大世界史』刊行記念講演会には行ったものの『大世界史』を購入しようとは思わなかった。だが、60歳を過ぎて昔の記憶がよみがえり、数年前にネットの古本屋で全26巻を安価で購入した。

 購入してもパラパラめくるだけだったが、新書『大世界史』を読んだのをきっかけに『大世界史 1 ここに歴史はじまる』(三笠宮崇仁/文藝春秋)を読もうと思った。その時、新聞で三笠宮崇仁殿下が100歳の誕生日を迎えたという記事に接したのは不思議な偶然だった。本書を読了して『ここに歴史はじまる』というやや大仰で印象的なタイトルが適切なことをあらためて認識した。メソポタミアやエジプトでの文明発祥からペルシア帝国滅亡までの古代オリエント史の概説を興味深く読むことができた。第2巻以降も読みたくなる。他にも読むべきものが堆積しているので、どうなるかわからないが。

 実は、新書『大世界史』で佐藤優氏はブックガイドとして叢書『大世界史』を「中学校を卒業した人なら誰でも読めるようにつくってあります」と紹介している。絶版になっている半世紀前の本なので、さほど有益な紹介ではなく、版元へのサービスのコメントのようでもある。だが、私にとっては『ここに歴史はじまる』を読むきっかけとなるコメントだった。

 とは言うものの、『大世界史』全26巻やその他の概説本を網羅的に読んだからと言って、現代世界を把握できるとは思えない。そもそも、歴史の世界は底なし沼でキリがない。佐藤氏も対談本の冒頭で「世界史をただ漫然と学んでも、何の意味もありません。(…)歴史は、現代と関連づけて理解することで、初めて生きた知になるのです」と語っている。その通りだろうが、歴史の面白さはそれだけでもなさそうにも思える。


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