総理大臣も3.11の震災直後に『日本沈没』を読んでいた
2012-08-09


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昨日(2012年8月8日)、菅直人前総理の記者会見(日本記者クラブ主催)に行った。
 ナマの菅直人氏を見るのは2回目だ。最初に見たのは35年前の参議院選挙のときだ。有楽町街頭での選挙運動を目撃した。社会市民連合という小さな政党から立候補した菅直人氏は、ホウマツとまでは言えないものの当選の見込みの極めて低い候補者だった。当時30歳、それ以前から市川房江を応援する若者として多少の知名度はあった。

 有楽町のスクランブル交差点でさわやかな笑顔を振りまきながら歩行者と握手している菅候補の印象は新鮮だった。従来の政治家とは異質の若々しい魅力を感じた。
 その菅候補を私と一緒に目撃していた友人が「こいつは、何回か選挙をやっているうちに当選するぞ」とつぶやいた。それを半信半疑で聞いていた私は、目の前で笑顔を振りまいている青年が未来の総理大臣だとはまったく想像できなかった。
 落選を繰り返していた菅直人氏が衆議院議員になるのはそれから3年後だ。

 あれから35年、あの若者もオジサンになってしまったなあと思う。もちろん、他人事ではない。菅氏より2歳年下の私もジイサンになった。風貌がオジサンになり、さわやかさが失われるのは仕方ないが、前総理はきわめて元気に見えた。

 今回の記者会見の発言で面白く感じたのは、3.11の後、小松左京の『日本沈没』を読んだというエピソードだ。私も震災の直後に『日本沈没』を再読した。あの小説は、総理大臣のために書かれたという一面もあり、総理こそが最適の読者だ。小松左京氏も本望だろう。

 菅氏が『日本沈没』を読んだのは、震災直後の原発事故に「国家存亡の危機」を感じたからのようだ。震災直後の日々の心境についての発言は、それなりにナマナマしく興味深かった。
 「よく、あれだけで止まったと思う。止めたと言いたいが、止まったという感じだ。紙一重を超えていれば、首都圏3000万人避難になると考えていた。」「ほとんど死が確実な現場に決死隊を派遣しなければならない決断を迫られる事態も想定したが、幸いそのような決断をすることはなかった。」「3000万人が避難して容易に戻れないという事態の経済へのダメージを考えると、原発再稼働を安易に求める経済人の認識に違和感がある」
 この発言からもうかがえるように、菅氏はかなり明確に脱原発依存を進めるべきだと述べた。ただし、より具体的で説得的なシナリオが聞けたわけではない。

 「脱原発」を唱える政治家は少なくなく、それぞれの立場はかなりバラバラなので、議論の真贋を見極めて評価するのは容易ではない。選挙で「脱原発」が争点になるかどうかも難しいだろう。票になると見れば、誰もがそれぞれのレベルでの「脱原発」を唱えるような気がする。

 今回の菅氏の記者会見では、小沢一郎氏への言及も興味深かった。小沢氏が民主党を離れて発言しやすくなったのだろう、かなり明確にチクチクと批判していた。そのチクチクは主に次のような内容だ。

 (1) 小沢氏は政治でなく政局を好む。1988年の金融国会で、自民党が丸飲みする代案を提示した私(当時の民主党代表)に対して小沢氏(当時の自由党代表)は「政局にしないなどというヤツとは組めない」と言った。
  (2) 小沢氏は独断で民主党のマニュフェストを選挙向けに変更(消費税増の削除、子供手当の増額)した。それがマニュフェストの実現を難しくした要因でもある。
 (3) 3.11後、脱原発路線を打ちだした私に対する「菅おろし」の背後には小沢氏と自民党の暗躍があったようだ。

 こんなことを述べるのだから、前首相はまだまだ元気で野心満々のようだ。もちろん、政治家にとって野心は重要だ。35年前の笑顔がさわやかな青年も野心満々だった筈だが、その野心の量は現在も増えてこそあれ減ってはいないだろう。
[原子力発電]
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