新聞週間の標語『新聞は世界平和の原子力』の記事かと思った
2011-06-09


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本日(2011年6月9日)の朝日新聞夕刊に「原発標語24年後の悔い」という見出しの記事が載っていた。
 見出しを見た瞬間、新聞週間の標語の反省記事かと思った。しかし、そんな記事ではなかった。

 24年前、福島県双葉町の標語コンクールで入選した『原子力明るい未来のエネルギー』という標語の作者に関する記事だった。当時、小学校6年生だった作者は現在35歳になり、避難生活を送っているそうだ。標語は、現在も双葉町の商店街に掲げられていて、作者は双葉町民に「うしろめたい気持ち」も感じる、と記事にある。

 それほど面白い記事ではない。小学生時代に作った標語で「うしろめたい気持ち」になる必要はないし、もっと「うしろめたい」人はいくらでもいる筈だ。そういう人をドンドン取り上げるべきなのだ。そんな人はなかなか取材には口を開かないだろうが。

 こんな標語を記事にするなら、1955年の新聞週間の標語『新聞は世界平和の原子力』を取り上げる方がよほど意義がある。
 『新聞は世界平和の原子力』は新聞業界が選んだ標語だ。当時、原子力の平和利用=原子力発電を推進する旗振り役が新聞をはじめとするマスメディアだったのは間違いない。

 私は、この標語を『科学記者』(柴田鉄治/岩波新書)という本で知ったが、最近、テレビの報道番組でも取り上げられたらしい。「鉄腕アトム」だって原子力の平和利用だし、私も子供の頃は原子力の平和利用に夢を感じていた。そのような風潮には何らかの根拠があった筈だ。うしろめたい気持で振り返る必要はないが、原発推進の歴史の淵源と展開を、より深く検討する必要はある。

 現在、原子力発電の検証がメディアの大きな役割であることは間違いない。検証にあたっては、メディア(広告業界も含む)の果たしてきた役割もきちんと検証しなければならない。はたして、どこまでできるだろうか。
[原子力発電]

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