『アンナ・コムネナの生涯と作品』は歴史学への愛の書 ― 2025年04月04日
ビザンツ帝国のコムネノス朝初代皇帝アレクシオス1世の長女、アンナ・コムネナ(1083-1153/4頃)は興味深い人物である。私はギボンの『ローマ帝国衰亡史』をボチボチと再読中で、それに関連してビザンツ史の一般書を、この数年で何冊か読んできた。そこでしばしば遭遇するのが、皇妃アンナ・コムネナである。
皇帝の娘であるアンナは自分こそが次期皇帝にふさわしいと考えていた。自分が無理なら夫を皇帝にしたいと思った。しかし、アレクシオス1世を継いで皇帝になったのは弟のヨハネス2世だった。アンナはヨハネスと対立し、政争に敗れ、後半生は歴史家に転身し、父の業績を綴った史書『アレクシアス』を書き上げる。ギボンをはじめビザンツ史を語る史書の多くは『アレクシアス』を引用している。
そのアンナ・コムネナの伝記をビザンツ史家の井上浩一氏が書いていると知った。
『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』(井上浩一/白水社/2020.7)
井上氏の著書は、これまでに『ビザンツとスラブ』(世界の歴史11)、『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝』を読んだ。どれも面白かった。文章が洒脱で読みやすい。本書も面白いだろうと予感して読み始めた。予感した以上に面白い歴史書だった。感動した。
本書は「第1部 生涯」「第2部 作品」から成る。第1部はアンナの伝記、第2部は彼女の著書『アレクシアス』の検討と評価である。井上氏は「あとがき」で、「楽しい歴史の旅へと誘ってくださったアンナ・コムネナさんに本書を捧げたいと思います」と述べたうえで、次のように語っている。
〔第1部「生涯」の冒頭を読んだだけで、アンナさんはこうおっしゃるかもしれません。「井上さん、違いますよ。そんなつもりではありません。」私のお答えはふたことです。「いえいえ、アンナさん、自分のことはわからないものです。どうか、最後まで読んでください。〕
アンナ贔屓と明言する著者のアンナへの思い入れが伝わってくる。『アレクシアス』はさまざまに評価されてきた歴史書である。敬愛する父親への称賛や自身の感情吐露があり、歴史書らしからぬ部分が批判されたりもする。著者は、そんな批判を歴史家の眼で検討したうえで、アンナの生涯の多様な場面を印象深く推測し、その作品を名著と高く評価している。
『アレクシアス』はアンナの自分語りをまじえた歴史書である。それ故に歴史書らしくない歴史書になっている。著者はそれを「越境する歴史学」ととらえている。そして本書には、アンナにならって著者の自分語りが随所に登場する。「このあたり、アンナの文を正確に訳す自信は私にはない」「私にはその勇気はないが、歴史学に限らず、どんな分野でも新たな可能性は越境行為にあるのではないか」などの言説に、書斎派を自認する歴史学者の矜持と自信を感じた。
アンナが皇帝あるいは皇后をめざして策動したか否かは不明である。『アレクシアス』の本文中で、アンナは繰り返し泣き、自分の不幸を嘆いているそうだ。だが、この歴史書を書くことで自分の不幸は慰められ、生きる力を得た、と著者は見ている。本書における著者のアンナへの眼差しに、歴史学者が歴史学者を観る慈愛を感じた。
皇帝の娘であるアンナは自分こそが次期皇帝にふさわしいと考えていた。自分が無理なら夫を皇帝にしたいと思った。しかし、アレクシオス1世を継いで皇帝になったのは弟のヨハネス2世だった。アンナはヨハネスと対立し、政争に敗れ、後半生は歴史家に転身し、父の業績を綴った史書『アレクシアス』を書き上げる。ギボンをはじめビザンツ史を語る史書の多くは『アレクシアス』を引用している。
そのアンナ・コムネナの伝記をビザンツ史家の井上浩一氏が書いていると知った。
『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』(井上浩一/白水社/2020.7)
井上氏の著書は、これまでに『ビザンツとスラブ』(世界の歴史11)、『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝』を読んだ。どれも面白かった。文章が洒脱で読みやすい。本書も面白いだろうと予感して読み始めた。予感した以上に面白い歴史書だった。感動した。
本書は「第1部 生涯」「第2部 作品」から成る。第1部はアンナの伝記、第2部は彼女の著書『アレクシアス』の検討と評価である。井上氏は「あとがき」で、「楽しい歴史の旅へと誘ってくださったアンナ・コムネナさんに本書を捧げたいと思います」と述べたうえで、次のように語っている。
〔第1部「生涯」の冒頭を読んだだけで、アンナさんはこうおっしゃるかもしれません。「井上さん、違いますよ。そんなつもりではありません。」私のお答えはふたことです。「いえいえ、アンナさん、自分のことはわからないものです。どうか、最後まで読んでください。〕
アンナ贔屓と明言する著者のアンナへの思い入れが伝わってくる。『アレクシアス』はさまざまに評価されてきた歴史書である。敬愛する父親への称賛や自身の感情吐露があり、歴史書らしからぬ部分が批判されたりもする。著者は、そんな批判を歴史家の眼で検討したうえで、アンナの生涯の多様な場面を印象深く推測し、その作品を名著と高く評価している。
『アレクシアス』はアンナの自分語りをまじえた歴史書である。それ故に歴史書らしくない歴史書になっている。著者はそれを「越境する歴史学」ととらえている。そして本書には、アンナにならって著者の自分語りが随所に登場する。「このあたり、アンナの文を正確に訳す自信は私にはない」「私にはその勇気はないが、歴史学に限らず、どんな分野でも新たな可能性は越境行為にあるのではないか」などの言説に、書斎派を自認する歴史学者の矜持と自信を感じた。
アンナが皇帝あるいは皇后をめざして策動したか否かは不明である。『アレクシアス』の本文中で、アンナは繰り返し泣き、自分の不幸を嘆いているそうだ。だが、この歴史書を書くことで自分の不幸は慰められ、生きる力を得た、と著者は見ている。本書における著者のアンナへの眼差しに、歴史学者が歴史学者を観る慈愛を感じた。
ミトラ教研究の大家キュモンの定説崩壊にビックリ ― 2025年03月29日
ローマ史家・井上文則氏がミトラス教を語った新刊書を読んだ。
『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則/講談社選書メチエ)
井上氏の本を読むのは『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文春新書)、『軍と兵士のローマ帝国』(岩波新書)に続いて3冊目だ。前の2冊も斬新で面白かったが、本書はそれ以上に驚きの書だった。
ペルシアではミスラ神、インドではミトラ神、ローマではミトラス神と呼ばれた太陽神を祀るこの宗教(ミスラ教、ミトラ教、ミトラス教)に、私は多少の関心がある。牡牛を屠るミトラ神の彫像は印象的だ。ローマ史の本には時おりミトラ教が登場する。『ローマ帝国の神々』(小川英雄)、『ミトラの密儀』(フランツ・キュモン)なども読んだ。しかし、この宗教のぼんやりしたイメージしかつかめていない。
本書の序章では、高校世界史の教科書の以下の説明を引用している。
「ミトラ教は、インド・イランのミトラ神に起源をもち、小アジアで宗教として成立した。ミトラ神は太陽と同一視された。ローマ時代には皇帝・軍人に信者が多く、さかんに牛を屠る密儀が行われた」
私のミトラ教のイメージはこれに近い。この説明はミトラ教研究の大家フランツ・キュモン(1868-1947)の学説を踏まえているそうだ。本書の序章はキュモンの業績を紹介したうえで、その学説を大幅に相対化し、「定説の崩壊」として、キュモン以後の研究に言及している。著者の見解では、教科書の上記の記述は適切ではない。門外漢の私には驚きの序章だった。
ゾロアスター教とも関連が深いペルシアのミスラ神が、西に伝わってローマのミトラス教となり、東に伝わって弥勒になった――私はそんな壮大なイメージを抱いていた。だが、著者はそのような直接的な伝達には否定的である。
西方(ローマ帝国)への伝達については「現在ではミトラ神とミトラス神の連続性を前提とするキュモン説は批判され、両者の関係を否定する見方すら出てきている」と述べている。
東方に関しては、バーミヤンの東大仏の頭上に描かれた太陽神ミトラを例に、ミトラ神がペルシアからバーミアンを経て日本にまで伝わったと述べている。しかし、ミトラが弥勒菩薩になったという説は論拠が乏しいとしている。
ローマのミトラス教に関しては、考古学的な遺跡はあるものの文書史料が少なく、不明な点が多い。したがって諸説あるらしい。多面的な検討を踏まえたうえで著者が展開する見解は、私には驚きだった。
著者の見解では、ミトラス教は紀元70年頃、ローマで一人の教祖によって始まり、短期間でローマ世界に広まった。その教祖は、小アジアのコンマゲネ王国からローマに連れて来られた知識人の解放奴隷だった。その教祖は自らの宗教の創始者をゾロアスターとしていたので、ミトラス教徒も自らの宗教の起源をペルシアのゾロアスターと考えていた。教祖は教義を文書化していたと思われるが、それは失われた。
キリスト教の興隆によって消滅したミトラス教の成立は、キリスト教より新しかったというのである。どの宗教も初めは新興宗教だが、ミトラス教はキリスト教より新しい新興宗教で、1世紀後半から4世紀にかけて拡大し、その後、急速に消滅する。やはり、謎の新興宗教である。
キュモンは、ミトラス教などがローマの伝統宗教を破壊してキリスト教が広まる地均しをしたと考えたそうだ。著者は、キリスト教とミトラス教の流布地域のズレからキュモン説を否定し、キリスト教普及には皇帝の上からの力が大きかったとしている。興味深い見解だ。皇帝によるキリスト教支援がなければ、ミトラス教が世界宗教になった可能性はあったかもしれない。
著者はユリアヌス帝にも言及し、彼がミトラス教徒だったことは疑いないとしている。私は9年前に辻邦生の『背教者ユリアヌス』を面白く読み、その頃、ユリアヌス関連書にも目を通したが、ユリアヌスがミトラス教徒だとは認識していなかった。あらてめて確認したくなった。
『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則/講談社選書メチエ)
井上氏の本を読むのは『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文春新書)、『軍と兵士のローマ帝国』(岩波新書)に続いて3冊目だ。前の2冊も斬新で面白かったが、本書はそれ以上に驚きの書だった。
ペルシアではミスラ神、インドではミトラ神、ローマではミトラス神と呼ばれた太陽神を祀るこの宗教(ミスラ教、ミトラ教、ミトラス教)に、私は多少の関心がある。牡牛を屠るミトラ神の彫像は印象的だ。ローマ史の本には時おりミトラ教が登場する。『ローマ帝国の神々』(小川英雄)、『ミトラの密儀』(フランツ・キュモン)なども読んだ。しかし、この宗教のぼんやりしたイメージしかつかめていない。
本書の序章では、高校世界史の教科書の以下の説明を引用している。
「ミトラ教は、インド・イランのミトラ神に起源をもち、小アジアで宗教として成立した。ミトラ神は太陽と同一視された。ローマ時代には皇帝・軍人に信者が多く、さかんに牛を屠る密儀が行われた」
私のミトラ教のイメージはこれに近い。この説明はミトラ教研究の大家フランツ・キュモン(1868-1947)の学説を踏まえているそうだ。本書の序章はキュモンの業績を紹介したうえで、その学説を大幅に相対化し、「定説の崩壊」として、キュモン以後の研究に言及している。著者の見解では、教科書の上記の記述は適切ではない。門外漢の私には驚きの序章だった。
ゾロアスター教とも関連が深いペルシアのミスラ神が、西に伝わってローマのミトラス教となり、東に伝わって弥勒になった――私はそんな壮大なイメージを抱いていた。だが、著者はそのような直接的な伝達には否定的である。
西方(ローマ帝国)への伝達については「現在ではミトラ神とミトラス神の連続性を前提とするキュモン説は批判され、両者の関係を否定する見方すら出てきている」と述べている。
東方に関しては、バーミヤンの東大仏の頭上に描かれた太陽神ミトラを例に、ミトラ神がペルシアからバーミアンを経て日本にまで伝わったと述べている。しかし、ミトラが弥勒菩薩になったという説は論拠が乏しいとしている。
ローマのミトラス教に関しては、考古学的な遺跡はあるものの文書史料が少なく、不明な点が多い。したがって諸説あるらしい。多面的な検討を踏まえたうえで著者が展開する見解は、私には驚きだった。
著者の見解では、ミトラス教は紀元70年頃、ローマで一人の教祖によって始まり、短期間でローマ世界に広まった。その教祖は、小アジアのコンマゲネ王国からローマに連れて来られた知識人の解放奴隷だった。その教祖は自らの宗教の創始者をゾロアスターとしていたので、ミトラス教徒も自らの宗教の起源をペルシアのゾロアスターと考えていた。教祖は教義を文書化していたと思われるが、それは失われた。
キリスト教の興隆によって消滅したミトラス教の成立は、キリスト教より新しかったというのである。どの宗教も初めは新興宗教だが、ミトラス教はキリスト教より新しい新興宗教で、1世紀後半から4世紀にかけて拡大し、その後、急速に消滅する。やはり、謎の新興宗教である。
キュモンは、ミトラス教などがローマの伝統宗教を破壊してキリスト教が広まる地均しをしたと考えたそうだ。著者は、キリスト教とミトラス教の流布地域のズレからキュモン説を否定し、キリスト教普及には皇帝の上からの力が大きかったとしている。興味深い見解だ。皇帝によるキリスト教支援がなければ、ミトラス教が世界宗教になった可能性はあったかもしれない。
著者はユリアヌス帝にも言及し、彼がミトラス教徒だったことは疑いないとしている。私は9年前に辻邦生の『背教者ユリアヌス』を面白く読み、その頃、ユリアヌス関連書にも目を通したが、ユリアヌスがミトラス教徒だとは認識していなかった。あらてめて確認したくなった。
『知っておきたい「酒」の世界史』は酒の肴のような本 ― 2025年03月26日
『ワインの世界史』という文庫本を読んだのを機に、似たタイトルの次の文庫本を読んだ。
『知っておきたい「酒」の世界史』(宮崎正勝/角川ソフィア文庫)
読みやすい歴史蘊蓄エッセイである。次々にいろいろな酒が出てくるので、読んでいるだけで酔っぱらいそうになる――というか、酒が恋しくなってくる。ホロ酔い気分で読むのがいい本かもしれない。
本書を読んでいると、人類は太古から酒に魅了され、その歴史の中で実にさまざまな素材から酒を造ってきたのだとわかる。糖を発酵させて醸造酒を造り、醸造酒を蒸留して蒸留酒を造り、さらには蒸留酒にハーブやスパイスを混ぜて混成酒を造る。で、世界は多種多様な酒に満ちている。食べ物が多様なのと同じことだとは思うが、たいした執念だとも思う。
本書の冒頭近くに、遊牧民の馬乳酒や牛乳酒が出てくる。馬乳酒は保存もできる自家製の食料だったらしい。先日読んだ『酒を主食とする人々』を連想した。酒を食料にする文化は確かに存在し、それなりの合理性もあるようだ。
飲料水の代替としての酒の話も多く登場する。腐敗を避けるには水より酒の方が適していたらしい。酒を飲んでも水分補給にはならないと聞いてきたが、必ずしもそうとは言い切れないようだ。どんな酒なら水分補給になるのかはよくわからない。
本書は、私の知らなかった豆知識にあふれている。二つだけ紹介する。
バーボンは米国の「建国の父」ワシントンが初代大統領になった年に生まれた酒である。それはフランスのブルボン朝を讃える酒だった。皮肉にもその年、ブルボン朝はフランス革命で倒れる。バーボンがブルボンだとは知らなかった。
1919年から14年間、米国は禁酒法の時代だった。この時代にマフィアが大儲けしたのは知っていた。ニューヨークの酒場は禁酒法前には15000軒だったが、禁酒法時代には35000軒の「もぐり酒場」が生まれたそうだ。禁酒法が飲酒を増進させたとも言える。確かに愚かな法律である。
『知っておきたい「酒」の世界史』(宮崎正勝/角川ソフィア文庫)
読みやすい歴史蘊蓄エッセイである。次々にいろいろな酒が出てくるので、読んでいるだけで酔っぱらいそうになる――というか、酒が恋しくなってくる。ホロ酔い気分で読むのがいい本かもしれない。
本書を読んでいると、人類は太古から酒に魅了され、その歴史の中で実にさまざまな素材から酒を造ってきたのだとわかる。糖を発酵させて醸造酒を造り、醸造酒を蒸留して蒸留酒を造り、さらには蒸留酒にハーブやスパイスを混ぜて混成酒を造る。で、世界は多種多様な酒に満ちている。食べ物が多様なのと同じことだとは思うが、たいした執念だとも思う。
本書の冒頭近くに、遊牧民の馬乳酒や牛乳酒が出てくる。馬乳酒は保存もできる自家製の食料だったらしい。先日読んだ『酒を主食とする人々』を連想した。酒を食料にする文化は確かに存在し、それなりの合理性もあるようだ。
飲料水の代替としての酒の話も多く登場する。腐敗を避けるには水より酒の方が適していたらしい。酒を飲んでも水分補給にはならないと聞いてきたが、必ずしもそうとは言い切れないようだ。どんな酒なら水分補給になるのかはよくわからない。
本書は、私の知らなかった豆知識にあふれている。二つだけ紹介する。
バーボンは米国の「建国の父」ワシントンが初代大統領になった年に生まれた酒である。それはフランスのブルボン朝を讃える酒だった。皮肉にもその年、ブルボン朝はフランス革命で倒れる。バーボンがブルボンだとは知らなかった。
1919年から14年間、米国は禁酒法の時代だった。この時代にマフィアが大儲けしたのは知っていた。ニューヨークの酒場は禁酒法前には15000軒だったが、禁酒法時代には35000軒の「もぐり酒場」が生まれたそうだ。禁酒法が飲酒を増進させたとも言える。確かに愚かな法律である。
『ワインの世界史』は西欧文化史 ― 2025年03月19日
私は人並に酒を飲む。主にビールや日本酒だが、焼酎、ウイスキー、ワインも飲む。ワインの良し悪しはよくわからない。数多あるワイン本などは読んだことがない。ワインに関する知識はない。にもかかわらず、次の文庫本を読んだ。
『ワインの世界史』(山本博/日経ビジネス人文庫)
昨年読んだ『砂糖の世界史』や『コーヒーが廻り世界史が廻る』で、産品をテーマにした歴史書は面白いと思った。その延長でワインの世界史も読んでみたくなったのだ。
本書の著者は歴史学者ではなくワイン通の弁護士である。弁護士として活躍しながら40冊以上のワイン関連本を書いているそうだ。世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、日本輸入ワイン協会会長も務めている。
軽い歴史エッセイと思って読み始めたが、コクのある歴史書だった。全10章の各章末には、数十冊の参考文献リストがあり、〇(重要)や□(一般向け)などを付している。広範な知識をベースにした親切な本である。
本書は古代から現代までのワインの歴史を概説している。メソポタミアで生まれ、エジプトで育てられたワインは、ギリシアでひとまず完成する。ヘレニズムの世界、ヘブライズムの世界、新約聖書の世界でもワインは重要は役割を担う。ローマ世界で貴族のワインと庶民のワインに分化したワインは、中世には多様化し、ルネサンスの時代には知と理性のワインとなり、フランス革命を経てワインの理想美が作られる。
ワインを視座にした西欧文化史の変遷は興味深い。私が特に注目したのは、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』に関する言及である。私は、ちくま学芸文庫版の『衰亡史』(全10巻)をのんびり再読中なので、ギボンに関する記述に目が行くのだ。著者は次のように指摘している。
「ローマ皇帝ユリアヌスがペルシャに遠征した時の状況が有名なギボンの『ローマ帝国衰亡史』にも書かれているが、その中で「ワインの使用だけは固く禁じ」とある節がしばしば誤解されて引用されている」
ユリアヌスは兵士の食用に大量の酢(vinegar)を用意したがワイン(wine)の使用を禁じた、とギボンは書いている。著者によれば、この場合の酢(vinegar)は「酸っぱい下級ワイン」、ワイン(wine)は「貴族用の高級ワイン」を指すそうだ。ユリアヌスは将校も兵士と同じ「下級ワイン」で我慢させた、というのがギボンの記述の主旨のようだ。
ちくま学芸文庫版(中野好夫訳)で該当箇所(第4巻P30)を確認すると、vinegarは「酢」、wineは「酒類」と訳している。特に訳註はない。著者の指摘が正しければ誤訳に近い。この指摘を知っただけでも、本書を読んだ価値があった。
本書の終盤の現代世界のワイン状況の話は、あまりに細かな話になり、ワイン門外漢の私には馬の耳に念仏に近かった。ワインについて少し勉強して読み返せば面白いのだろうが、そんな日がくるかどうかはわからない。
『ワインの世界史』(山本博/日経ビジネス人文庫)
昨年読んだ『砂糖の世界史』や『コーヒーが廻り世界史が廻る』で、産品をテーマにした歴史書は面白いと思った。その延長でワインの世界史も読んでみたくなったのだ。
本書の著者は歴史学者ではなくワイン通の弁護士である。弁護士として活躍しながら40冊以上のワイン関連本を書いているそうだ。世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、日本輸入ワイン協会会長も務めている。
軽い歴史エッセイと思って読み始めたが、コクのある歴史書だった。全10章の各章末には、数十冊の参考文献リストがあり、〇(重要)や□(一般向け)などを付している。広範な知識をベースにした親切な本である。
本書は古代から現代までのワインの歴史を概説している。メソポタミアで生まれ、エジプトで育てられたワインは、ギリシアでひとまず完成する。ヘレニズムの世界、ヘブライズムの世界、新約聖書の世界でもワインは重要は役割を担う。ローマ世界で貴族のワインと庶民のワインに分化したワインは、中世には多様化し、ルネサンスの時代には知と理性のワインとなり、フランス革命を経てワインの理想美が作られる。
ワインを視座にした西欧文化史の変遷は興味深い。私が特に注目したのは、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』に関する言及である。私は、ちくま学芸文庫版の『衰亡史』(全10巻)をのんびり再読中なので、ギボンに関する記述に目が行くのだ。著者は次のように指摘している。
「ローマ皇帝ユリアヌスがペルシャに遠征した時の状況が有名なギボンの『ローマ帝国衰亡史』にも書かれているが、その中で「ワインの使用だけは固く禁じ」とある節がしばしば誤解されて引用されている」
ユリアヌスは兵士の食用に大量の酢(vinegar)を用意したがワイン(wine)の使用を禁じた、とギボンは書いている。著者によれば、この場合の酢(vinegar)は「酸っぱい下級ワイン」、ワイン(wine)は「貴族用の高級ワイン」を指すそうだ。ユリアヌスは将校も兵士と同じ「下級ワイン」で我慢させた、というのがギボンの記述の主旨のようだ。
ちくま学芸文庫版(中野好夫訳)で該当箇所(第4巻P30)を確認すると、vinegarは「酢」、wineは「酒類」と訳している。特に訳註はない。著者の指摘が正しければ誤訳に近い。この指摘を知っただけでも、本書を読んだ価値があった。
本書の終盤の現代世界のワイン状況の話は、あまりに細かな話になり、ワイン門外漢の私には馬の耳に念仏に近かった。ワインについて少し勉強して読み返せば面白いのだろうが、そんな日がくるかどうかはわからない。
アガサ・クリスティーと中島敦をまとめ読みしたわけ ― 2025年03月16日
次の2冊の小説をたて続けに読んだ。
『メソポタミヤの殺人』(アガサ・クリスティー/田村義進訳/ハヤカワ文庫)
『文字禍・牛人』(中島敦/角川文庫)
アガサ・クリスティーと中島敦、かなり異質の取り合わせだが関連がある。先日読んだ『アッシリア全史』が『メソポタミヤの殺人』と『文字禍』に触れていたのだ。二つの小説の共通項はアッシリアである。私はどちらも読んでいないので、ネット書店で入手して読んだ。ゴチャゴチャした歴史で疲れた頭をミステリー小説でほぐしたくなったのである。
『アッシリア全史』では、メソポタミアの遺跡発掘に関連して、考古学者として発掘に携わると同時に英国の諜報活動をしていた「アラビアのロレンス」に触れ、「女王」と呼ばれた二人の英国人女性に言及している。ひとりはガートルード・ベルである。女性版ロレンスと言われたりするが、ロレンスより20歳年長だ。「砂漠の女王」「イラク建国の母」と呼ばれる考古学者・紀行作家・英国特使である。私は8年前、彼女を描いた映画『アラビアの女王』を観た。
もうひとりの女王がアガサ・クリスティーである。クリスティの再婚相手は14歳年下の考古学者のマックス・マロワンで、メソポタミアの遺跡発掘に参加していた。カルフでの発掘にはクリスティも同行し、発掘作業を手伝いながら『メソポタミヤの殺人』を執筆したそうだ。
そんな事情を知ったうえで『メソポタミヤの殺人』を読んだ。遺跡発掘隊を舞台にしたミステリーである。遺跡名は架空のようだが、実際の地名もいくつか出てくるので、およその場所は見当がつく。遺跡発掘隊の話を読みながら、実体験に基づいたであろう描写を楽しんだ。イラクに思いをはせながら発掘現場を疑似体験できた。ただし、ミステリーとしてはやや強引な無理筋に思えた。
中島敦の『文字禍』はアッシリアを舞台にした小説である。33歳で夭折したこの作家の『山月記』は教科書で読んだ。『李陵』など中国を舞台にした短篇をいくつ読んだ記憶はあるが、アッシリアの話は読んでいない。入手した角川文庫の『文字禍・牛人』は、6つの短篇を収録していた。『狐憑』『木乃伊』『文字禍』『牛人』『斗南先生』『虎狩』である。
『文字禍』はアッシュルバニパル王の時代の老学者の話である。19世紀にニネヴェ遺跡で発掘された「アッシュルバニバル」の図書館が登場する。楔形文字を刻んだ粘土板を収集した図書館を、中島敦は「書物は瓦であり、図書館は瀬戸物屋の倉庫に似ていた」と表現している。文字の発明によって人間が失ったものを考察した端正な短篇である。面白かった。
『狐憑』はスキタイ人の話、『木乃伊』の舞台は古代エジプトである。中国のイメージが強い中島敦の視野の広さと教養の深さに驚いた。『牛人』は中国の奇譚、『斗南先生』と『虎狩』は私小説風だが、私にとっては異世界の話だ。久々に漢字を多用した中島敦の短篇を読み、異境感に浸った。
『メソポタミヤの殺人』(アガサ・クリスティー/田村義進訳/ハヤカワ文庫)
『文字禍・牛人』(中島敦/角川文庫)
アガサ・クリスティーと中島敦、かなり異質の取り合わせだが関連がある。先日読んだ『アッシリア全史』が『メソポタミヤの殺人』と『文字禍』に触れていたのだ。二つの小説の共通項はアッシリアである。私はどちらも読んでいないので、ネット書店で入手して読んだ。ゴチャゴチャした歴史で疲れた頭をミステリー小説でほぐしたくなったのである。
『アッシリア全史』では、メソポタミアの遺跡発掘に関連して、考古学者として発掘に携わると同時に英国の諜報活動をしていた「アラビアのロレンス」に触れ、「女王」と呼ばれた二人の英国人女性に言及している。ひとりはガートルード・ベルである。女性版ロレンスと言われたりするが、ロレンスより20歳年長だ。「砂漠の女王」「イラク建国の母」と呼ばれる考古学者・紀行作家・英国特使である。私は8年前、彼女を描いた映画『アラビアの女王』を観た。
もうひとりの女王がアガサ・クリスティーである。クリスティの再婚相手は14歳年下の考古学者のマックス・マロワンで、メソポタミアの遺跡発掘に参加していた。カルフでの発掘にはクリスティも同行し、発掘作業を手伝いながら『メソポタミヤの殺人』を執筆したそうだ。
そんな事情を知ったうえで『メソポタミヤの殺人』を読んだ。遺跡発掘隊を舞台にしたミステリーである。遺跡名は架空のようだが、実際の地名もいくつか出てくるので、およその場所は見当がつく。遺跡発掘隊の話を読みながら、実体験に基づいたであろう描写を楽しんだ。イラクに思いをはせながら発掘現場を疑似体験できた。ただし、ミステリーとしてはやや強引な無理筋に思えた。
中島敦の『文字禍』はアッシリアを舞台にした小説である。33歳で夭折したこの作家の『山月記』は教科書で読んだ。『李陵』など中国を舞台にした短篇をいくつ読んだ記憶はあるが、アッシリアの話は読んでいない。入手した角川文庫の『文字禍・牛人』は、6つの短篇を収録していた。『狐憑』『木乃伊』『文字禍』『牛人』『斗南先生』『虎狩』である。
『文字禍』はアッシュルバニパル王の時代の老学者の話である。19世紀にニネヴェ遺跡で発掘された「アッシュルバニバル」の図書館が登場する。楔形文字を刻んだ粘土板を収集した図書館を、中島敦は「書物は瓦であり、図書館は瀬戸物屋の倉庫に似ていた」と表現している。文字の発明によって人間が失ったものを考察した端正な短篇である。面白かった。
『狐憑』はスキタイ人の話、『木乃伊』の舞台は古代エジプトである。中国のイメージが強い中島敦の視野の広さと教養の深さに驚いた。『牛人』は中国の奇譚、『斗南先生』と『虎狩』は私小説風だが、私にとっては異世界の話だ。久々に漢字を多用した中島敦の短篇を読み、異境感に浸った。
アッシリア帝国はその後の帝国の原型 ― 2025年03月13日
2カ月前(2025年1月)に出た次の新書を読んだ。
『アッシリア全史:都市国家から世界帝国までの1400年』(小林登志子/中公新書)
同じ著者の『古代メソポタミア全史』を読んだばかりで、1年前には『古代オリエント全史』を読んだ。ゴチャゴチャした複雑な歴史だから、読んでも内容の大半は頭に残っていない。同じ著者の似た内容の本を続けて読めば、多少なりとも記憶に留まる部分があるだろうと思ってこの新刊を読んだ。
オリエント > メソポタミア > アッシリアという関係だから、徐々に詳しくなってくる。実は、昨年末に『沈黙する神々の帝国:アッシリアとペルシア』(本村凌二)も読んでいる。アッシリアについては、この辺で十分という気がする。ただ、アッシリアという言葉には紀元前の古代史の象徴を感じる。
アッシリアには「最古の帝国」「強圧の帝国」のイメージがある。文明発祥の地とされるメソポタミアには、アッシリア以前にアッカド王国、ウル第三王朝という領域国家があったが、帝国と呼ばれるのは、メソポタミア全体とエジプトを支配したアッシリが最初だ。
と言っても、いきなり帝国が誕生したわけではない。それ以前の都市国家、領域国家の時代を含めて1400年の歴史がある。帝国となった新アッシリア時代は前1000年頃から前609年までの約400年である。帝国末期の30年については記録が残ってなく、どのように滅亡したかは不明確だそうだ。『旧約聖書』には、神を恐れぬ行動ゆえに滅ぼされたとあるらしい。
本書はアッシリア帝国の構成について、かなり詳しく記述している。国家中枢の官僚組織、州行政、属国統治、交通・通信網などが整備されていたそうだ。まさに帝国の原型が出来上がっていたのだと感心した。その後に興亡する数多の帝国(アケメネス朝、ローマ、漢、ビザンツ等々)の統治形態はアッシリア帝国をなぞっただけに思えてくる。人間の集団が拡大していく様は、遠い古代からさほど変わっていないのかもしれない。
本書には数多くの人名が出てくる。そのなかで、高校世界史にも登場するアッシリア王はアッシュル・バニパルとサルゴン2世ぐらいだ。
アッシリア帝国全盛期の王アッシュル・バニパルに関する本書の記述は興味深い。読み書きができる「学者王」であることを自慢している。粘土板文書を収集した図書館も作っている。戦争の命令は下すが親征はしない。戦場が怖かったらしい。強圧の帝国の王らしからぬ人である。
高校世界史に登場する最古の個人名は、アッカド王国のサルゴン王だそうだ。アッシリア帝国のサルゴン2世は、アッカド王国に同名の王がいたから2世だと思っていたが、私の勘違いだった。考えてみれば、違う王朝なのに2世はあり得ない。本書のアッシリア王名一覧には古アッシリア時代にサルゴン1世が載っていた。ちなみに、サルゴンは「真の王」という意味で、簒奪王が名乗ることが多いらしい。
『アッシリア全史:都市国家から世界帝国までの1400年』(小林登志子/中公新書)
同じ著者の『古代メソポタミア全史』を読んだばかりで、1年前には『古代オリエント全史』を読んだ。ゴチャゴチャした複雑な歴史だから、読んでも内容の大半は頭に残っていない。同じ著者の似た内容の本を続けて読めば、多少なりとも記憶に留まる部分があるだろうと思ってこの新刊を読んだ。
オリエント > メソポタミア > アッシリアという関係だから、徐々に詳しくなってくる。実は、昨年末に『沈黙する神々の帝国:アッシリアとペルシア』(本村凌二)も読んでいる。アッシリアについては、この辺で十分という気がする。ただ、アッシリアという言葉には紀元前の古代史の象徴を感じる。
アッシリアには「最古の帝国」「強圧の帝国」のイメージがある。文明発祥の地とされるメソポタミアには、アッシリア以前にアッカド王国、ウル第三王朝という領域国家があったが、帝国と呼ばれるのは、メソポタミア全体とエジプトを支配したアッシリが最初だ。
と言っても、いきなり帝国が誕生したわけではない。それ以前の都市国家、領域国家の時代を含めて1400年の歴史がある。帝国となった新アッシリア時代は前1000年頃から前609年までの約400年である。帝国末期の30年については記録が残ってなく、どのように滅亡したかは不明確だそうだ。『旧約聖書』には、神を恐れぬ行動ゆえに滅ぼされたとあるらしい。
本書はアッシリア帝国の構成について、かなり詳しく記述している。国家中枢の官僚組織、州行政、属国統治、交通・通信網などが整備されていたそうだ。まさに帝国の原型が出来上がっていたのだと感心した。その後に興亡する数多の帝国(アケメネス朝、ローマ、漢、ビザンツ等々)の統治形態はアッシリア帝国をなぞっただけに思えてくる。人間の集団が拡大していく様は、遠い古代からさほど変わっていないのかもしれない。
本書には数多くの人名が出てくる。そのなかで、高校世界史にも登場するアッシリア王はアッシュル・バニパルとサルゴン2世ぐらいだ。
アッシリア帝国全盛期の王アッシュル・バニパルに関する本書の記述は興味深い。読み書きができる「学者王」であることを自慢している。粘土板文書を収集した図書館も作っている。戦争の命令は下すが親征はしない。戦場が怖かったらしい。強圧の帝国の王らしからぬ人である。
高校世界史に登場する最古の個人名は、アッカド王国のサルゴン王だそうだ。アッシリア帝国のサルゴン2世は、アッカド王国に同名の王がいたから2世だと思っていたが、私の勘違いだった。考えてみれば、違う王朝なのに2世はあり得ない。本書のアッシリア王名一覧には古アッシリア時代にサルゴン1世が載っていた。ちなみに、サルゴンは「真の王」という意味で、簒奪王が名乗ることが多いらしい。
自分のエッシャー鑑賞がいかにずさんだったかを知った ― 2025年03月06日
日経新聞(2025.1.25)や朝日新聞(2025.2.22)の書評が取り上げていた次の本を読んだ。
『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)
エッシャーの「不可能建築」と呼ばれる『物見の塔』『上昇と下降』『滝』などについて、視覚をごまかすためにどんな仕掛けが施されているかを読み解いた本である。とても面白い。著者は発生学・理論生物学の研究者である。本書の論考は著者の専門領域とも一部重なり合っている。
私は約半世紀前にエッシャーの画集を入手した。それなりにエッシャーの版画に親しんできたつもりだ。本書は、その画集をめくりながら読み進めた。私が気づいていなかった指摘が次々に出てきて、自分がいかに観ていなかったかを認識した。同時に、エッシャー鑑賞の新たな醍醐味を知った。
エッシャーの「不可能建築」は錯視を利用したトリック画である。錯視は面白い。私は、ペンローズの三角形(エッシャーは、これを『滝』に応用)の模型をペーパークラフトで作ったこともある。だが、エッシャーのトリック画を観て、フムフム面白いなと思うだけでそれ以上踏み込んで考えたことはなかった。
著者は、単なる錯視トリックではエッシャーの作品のようなリアリティは得られないと指摘し、エッシャーが仕掛けたさまざまな仕掛けを解き明かしている。
本書によって認識を新たにしたのは、錯視と遠近法の関係である。作品をリアルに表現するには遠近法が有効である。エッシャーの作品も遠近法を多用している。だが、遠近法を強調すると錯視効果が減衰する。錯視には遠近感のごまかしが関連しているのだ。私は、ペンローズの三角形の模型を作ったにもかかわらず、本書を読むまでその点に考えが及ばなかった。
本書の最大のポイントは、遠近法と錯視を両立させるためにエッシャーが仕掛けた工夫の解明である。ナルホドと感心した。
だが、私が最も驚いたのは『画廊』という作品が再帰的なドロステ画だとの指摘である。画面が極端に歪んでいくこの作品を、私は半世紀前に画集で観て、単純に「面白いな」と感じただけだった。これが再帰的な作品だとは昔から知られていたそうだ。あらためて画集の作品解説を読むと、ちゃんと書いてあった。検索すると、分かりやすい動画もあった。私は半世紀の年月を経て初めて気づいた。情けないが仕方ない。
著者が指摘するように、内側の世界と外側の世界を融合させるために螺旋構造を用いるというアイデアは秀逸である。著者は、螺旋を描いて成長する結晶がヒントになったのではと推測している。サイエンスの世界である。
『エッシャー完全解読:なぜ不可能が可能に見えるのか』(近藤滋/みすず書房)
エッシャーの「不可能建築」と呼ばれる『物見の塔』『上昇と下降』『滝』などについて、視覚をごまかすためにどんな仕掛けが施されているかを読み解いた本である。とても面白い。著者は発生学・理論生物学の研究者である。本書の論考は著者の専門領域とも一部重なり合っている。
私は約半世紀前にエッシャーの画集を入手した。それなりにエッシャーの版画に親しんできたつもりだ。本書は、その画集をめくりながら読み進めた。私が気づいていなかった指摘が次々に出てきて、自分がいかに観ていなかったかを認識した。同時に、エッシャー鑑賞の新たな醍醐味を知った。
エッシャーの「不可能建築」は錯視を利用したトリック画である。錯視は面白い。私は、ペンローズの三角形(エッシャーは、これを『滝』に応用)の模型をペーパークラフトで作ったこともある。だが、エッシャーのトリック画を観て、フムフム面白いなと思うだけでそれ以上踏み込んで考えたことはなかった。
著者は、単なる錯視トリックではエッシャーの作品のようなリアリティは得られないと指摘し、エッシャーが仕掛けたさまざまな仕掛けを解き明かしている。
本書によって認識を新たにしたのは、錯視と遠近法の関係である。作品をリアルに表現するには遠近法が有効である。エッシャーの作品も遠近法を多用している。だが、遠近法を強調すると錯視効果が減衰する。錯視には遠近感のごまかしが関連しているのだ。私は、ペンローズの三角形の模型を作ったにもかかわらず、本書を読むまでその点に考えが及ばなかった。
本書の最大のポイントは、遠近法と錯視を両立させるためにエッシャーが仕掛けた工夫の解明である。ナルホドと感心した。
だが、私が最も驚いたのは『画廊』という作品が再帰的なドロステ画だとの指摘である。画面が極端に歪んでいくこの作品を、私は半世紀前に画集で観て、単純に「面白いな」と感じただけだった。これが再帰的な作品だとは昔から知られていたそうだ。あらためて画集の作品解説を読むと、ちゃんと書いてあった。検索すると、分かりやすい動画もあった。私は半世紀の年月を経て初めて気づいた。情けないが仕方ない。
著者が指摘するように、内側の世界と外側の世界を融合させるために螺旋構造を用いるというアイデアは秀逸である。著者は、螺旋を描いて成長する結晶がヒントになったのではと推測している。サイエンスの世界である。
最古のメソポタミア史にすでに人類の経験が凝縮 ― 2025年03月04日
先月、『人類の起源と古代オリエント』(世界の歴史1) を読んで、頭が多少は古代史モードになっているので、未読棚の次の新書を読んだ。
『古代メソポタミア全史:シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』(小林登志子/中公新書)
一昨年、同じ著者の『古代オリエント全史』を読んだ直後に本書を購入した。メソポタミアはオリエントの一部なので、オリエント史の後にメソポタミア史を読むのはズームアップ読書になる。『古代メソポタミア全史』の刊行は2020年10月、『古代オリエント全史』の刊行は2022年11月だから、刊行順に読むならズームアウト読書になる。どちらがいいか、よくわからない。
本書の主要部分の目次は以下の通りである。
第1章 シュメル人とアッカド人の時代――前3500年~前2004年
第2章 シャムシ・アダト1世とハンムラビ王の時代――前2000年紀前半
第3章 バビロニア対アッシリアの覇権争い――前2000年紀後半
第4章 世界帝国の興亡――前1000年~前539年
古代メソポタミア史とは、前3500年頃のシュメル人の都市国家に始まり前539年の新バビロニア王国滅亡で終わる約3000年の歴史である。第1章は約1500年、第2~4章は約500年ずつを記述している。第4章の「世界帝国」は新アッシリアを指す。序章と終章では、この3000年史の以前と以後を概説している。
チグリス河とユーフラテス河にはさまれたメソポタミアは古代文明発祥の地である。その周辺にはエジプト、シリア、アナトリア、イランなどの文化や文明がある。本書の記述は、当然ながらそれら周辺諸国との関わりにも及んでいる。
前3500年頃からの3000年は、現代までの歴史の半分以上の時間だ。とても長い。当然ながら様々な事象に満ちている。遠い昔のできごとは史料が少ないのでボヤけているように思えるが、粘土板に刻まれた楔形文字の解読で意外に細かいことまでわかっているようだ。著者はこの3000年について「ただ長ければ良いということではありませんが、短い歴史にくらべて、ありとあらゆるできごとがつまっていて、おもしろいです」と述べている。
丸山真男は「ローマ史には人類の経験が凝縮されている」と語ったそうだ。本書を読むと、古代ローマ以前の古代メソポタミア史に、すでに人類の経験が凝縮されていると思える。門外漢には馴染みのない固有名詞(人名、地名、集団名)が頻出するので、歴史像を思い描きにくいのが難点である。
メソポタミア史の把握には時間軸だけなく空間軸が重要だ。年代ごとの地理を知らねばならない。メソポタミア3000年の歴史では、メソポタミアという限られた地域の中で多様な都市が興亡し、多様な人々が移動する。この地理がかなりややこしい。地図と年表による三次元で世界の動きを捉えなければ歴史像を描けない。
遠い昔の歴史なので、史料が整っているわけでなく、判明している知見にはデコボコがある。空白の部分や不明の点は周辺史料から推測することになる。
三次元でダイナミックに歴史像を描くことや、史料の読み解きといった点で、メソポタミア史は歴史を学ぶ教材としても面白いと思う。メソポタミア3000年の歴史をきちんと把握できれば、その後の現代までの2500年の歴史がちゃちな繰り返しに見えてくるかもしれない。
『古代メソポタミア全史:シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』(小林登志子/中公新書)
一昨年、同じ著者の『古代オリエント全史』を読んだ直後に本書を購入した。メソポタミアはオリエントの一部なので、オリエント史の後にメソポタミア史を読むのはズームアップ読書になる。『古代メソポタミア全史』の刊行は2020年10月、『古代オリエント全史』の刊行は2022年11月だから、刊行順に読むならズームアウト読書になる。どちらがいいか、よくわからない。
本書の主要部分の目次は以下の通りである。
第1章 シュメル人とアッカド人の時代――前3500年~前2004年
第2章 シャムシ・アダト1世とハンムラビ王の時代――前2000年紀前半
第3章 バビロニア対アッシリアの覇権争い――前2000年紀後半
第4章 世界帝国の興亡――前1000年~前539年
古代メソポタミア史とは、前3500年頃のシュメル人の都市国家に始まり前539年の新バビロニア王国滅亡で終わる約3000年の歴史である。第1章は約1500年、第2~4章は約500年ずつを記述している。第4章の「世界帝国」は新アッシリアを指す。序章と終章では、この3000年史の以前と以後を概説している。
チグリス河とユーフラテス河にはさまれたメソポタミアは古代文明発祥の地である。その周辺にはエジプト、シリア、アナトリア、イランなどの文化や文明がある。本書の記述は、当然ながらそれら周辺諸国との関わりにも及んでいる。
前3500年頃からの3000年は、現代までの歴史の半分以上の時間だ。とても長い。当然ながら様々な事象に満ちている。遠い昔のできごとは史料が少ないのでボヤけているように思えるが、粘土板に刻まれた楔形文字の解読で意外に細かいことまでわかっているようだ。著者はこの3000年について「ただ長ければ良いということではありませんが、短い歴史にくらべて、ありとあらゆるできごとがつまっていて、おもしろいです」と述べている。
丸山真男は「ローマ史には人類の経験が凝縮されている」と語ったそうだ。本書を読むと、古代ローマ以前の古代メソポタミア史に、すでに人類の経験が凝縮されていると思える。門外漢には馴染みのない固有名詞(人名、地名、集団名)が頻出するので、歴史像を思い描きにくいのが難点である。
メソポタミア史の把握には時間軸だけなく空間軸が重要だ。年代ごとの地理を知らねばならない。メソポタミア3000年の歴史では、メソポタミアという限られた地域の中で多様な都市が興亡し、多様な人々が移動する。この地理がかなりややこしい。地図と年表による三次元で世界の動きを捉えなければ歴史像を描けない。
遠い昔の歴史なので、史料が整っているわけでなく、判明している知見にはデコボコがある。空白の部分や不明の点は周辺史料から推測することになる。
三次元でダイナミックに歴史像を描くことや、史料の読み解きといった点で、メソポタミア史は歴史を学ぶ教材としても面白いと思う。メソポタミア3000年の歴史をきちんと把握できれば、その後の現代までの2500年の歴史がちゃちな繰り返しに見えてくるかもしれない。
『酒を主食とする人々』は常識を覆す驚きのレポート ― 2025年02月28日
ユニークな「辺境作家」高野秀行氏の新刊を読んだ。とても面白い。
『酒を主食とする人々:エチオピアの科学的秘境を旅する』(高野秀行/本の雑誌社/2025.1)
多数の著作がある高野氏を、私は一昨年の『イラク水滸伝』で初めて知った。その後『イスラム飲酒紀行』で高野氏の酒好きを確認した。本書は、酒を好む高野氏によるエチオピアの秘境に住む驚異の人々の探訪記である。
酒を主食とする人々については、新潟大学の研究者・砂野唯氏が2019年刊行の『酒を食べる エチオピア・デラシャを事例にして』で報告している。だが、それ以外には報道も情報もないらしい。高野氏は砂野氏の本でエチオピアのデラシャという秘境を知り、いつか訪ねたいと思っていたそうだ。
デラシャへの旅が実現したのは、TBSの「クレイジージャーニー」という番組で高野氏の探訪を取り上げることになったからである。テレビ局のスタッフ2人と現地のコーディネーターやガイドを伴っての旅は2週間、秘境探検にしては短い。被写体の高野氏が、テレビカメラで撮影しながらの旅はそれが限度と判断したのだ。
2023年10月、一行はエチオピアに旅立った。デラシャ探訪の前にコンソという地域も訪ねる。酒が主食という点ではデラシャの方がコンソよりディープで、コンソは「前菜」という位置づけだった。だが、2023年末に放映された番組は、映像上の諸事情からデラシャ探訪をカットし、「前菜」のコンソ探訪だけの内容になった。本書を読めば諸事情が何となくわかる。
当初、高野氏はこの探訪記だけを1冊の本にまとめる予定はなかった。肝心のデラシャ探訪の記録を残すために本書を執筆したようだ。
紆余曲折を経てたどり着いたデラシャには、固形物をほとんど食べずパルショータという酒を主食にする人が本当に暮らしていた。アルコール度がビールほどのドロドロした濁り酒を朝昼晩に飲むそうだ。小さな子供でも飲む。表紙写真の子供が手にしているペットボトルはお弁当の酒である。そんなに飲んでも普通に生活し、仕事もしている。驚きである。
なぜ、こんな生活形態が生まれたか。本書の推測は以下の通りだ。パルショータはソルガムという植物から作る。デラシャの人々の先祖は遊牧民に圧迫され、ソルガムしか生育しない山岳の乾燥地帯に追いやられた。ソルガムだけでは栄養が足りないが、発酵させて酒にすれば栄養がまかなえる。だから酒が主食になった。
酒を主食にする人々は、みんな頑強で体格もいいそうだ。現地の病院で医者に取材しても、肝臓疾患、高血圧、糖尿病などが多いというデータはない。酒を主食にする人々の健康状態は他の人々より良好だ。病院では入院患者も妊婦もパルショータを飲んでいる。この世の常識が覆され、頭がクラクラしてくる話である。
パルショータだけでなく、高野氏ならでは現地の人々とのの交流譚も面白い。
『酒を主食とする人々:エチオピアの科学的秘境を旅する』(高野秀行/本の雑誌社/2025.1)
多数の著作がある高野氏を、私は一昨年の『イラク水滸伝』で初めて知った。その後『イスラム飲酒紀行』で高野氏の酒好きを確認した。本書は、酒を好む高野氏によるエチオピアの秘境に住む驚異の人々の探訪記である。
酒を主食とする人々については、新潟大学の研究者・砂野唯氏が2019年刊行の『酒を食べる エチオピア・デラシャを事例にして』で報告している。だが、それ以外には報道も情報もないらしい。高野氏は砂野氏の本でエチオピアのデラシャという秘境を知り、いつか訪ねたいと思っていたそうだ。
デラシャへの旅が実現したのは、TBSの「クレイジージャーニー」という番組で高野氏の探訪を取り上げることになったからである。テレビ局のスタッフ2人と現地のコーディネーターやガイドを伴っての旅は2週間、秘境探検にしては短い。被写体の高野氏が、テレビカメラで撮影しながらの旅はそれが限度と判断したのだ。
2023年10月、一行はエチオピアに旅立った。デラシャ探訪の前にコンソという地域も訪ねる。酒が主食という点ではデラシャの方がコンソよりディープで、コンソは「前菜」という位置づけだった。だが、2023年末に放映された番組は、映像上の諸事情からデラシャ探訪をカットし、「前菜」のコンソ探訪だけの内容になった。本書を読めば諸事情が何となくわかる。
当初、高野氏はこの探訪記だけを1冊の本にまとめる予定はなかった。肝心のデラシャ探訪の記録を残すために本書を執筆したようだ。
紆余曲折を経てたどり着いたデラシャには、固形物をほとんど食べずパルショータという酒を主食にする人が本当に暮らしていた。アルコール度がビールほどのドロドロした濁り酒を朝昼晩に飲むそうだ。小さな子供でも飲む。表紙写真の子供が手にしているペットボトルはお弁当の酒である。そんなに飲んでも普通に生活し、仕事もしている。驚きである。
なぜ、こんな生活形態が生まれたか。本書の推測は以下の通りだ。パルショータはソルガムという植物から作る。デラシャの人々の先祖は遊牧民に圧迫され、ソルガムしか生育しない山岳の乾燥地帯に追いやられた。ソルガムだけでは栄養が足りないが、発酵させて酒にすれば栄養がまかなえる。だから酒が主食になった。
酒を主食にする人々は、みんな頑強で体格もいいそうだ。現地の病院で医者に取材しても、肝臓疾患、高血圧、糖尿病などが多いというデータはない。酒を主食にする人々の健康状態は他の人々より良好だ。病院では入院患者も妊婦もパルショータを飲んでいる。この世の常識が覆され、頭がクラクラしてくる話である。
パルショータだけでなく、高野氏ならでは現地の人々とのの交流譚も面白い。
政治的暴力が日常化した100年前を描いた『ナチズム前夜』 ― 2025年02月26日
昨年8月に出た次の新書を読んだ。
『ナチズム前夜:ワイマル共和国と政治的暴力』(原田昌博/集英社新書)
民主的なワイマル憲法のワイマル共和国はナチズムを産んで崩壊した。本書はワイマル共和国の時代を「政治的暴力」に焦点をあてて社会史的に描いている。
著者は序章で次のように述べている。
「本書は、政治的暴力の問題が共和国の最初から終わりまで一貫して影を落としており、それが共和国の政治手的安定性を揺るがす負荷になっていたのではないかと想定している。」
ワイマル共和国の前期(1918~1923年)は左翼や右翼による体制転覆志向型暴力の物騒な時代だった。その後、相対的安定期と呼ばれる中期(1924~1929年)を経て、世界恐慌が契機の混乱の後期(1930~1933年)となる。中期・後期は党派対立型暴力の不穏な時代である。本書は、その党派対立型暴力を詳述している。
この時代、政党が絡みの武装組織はナチ党のSAの他に、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団、共和国擁護派の国旗団、共産党のRFBがあった。これらの武装組織が街頭や集会場で抗争を繰り返した。それはプロパガンダとしての暴力でもあった。
本書であらためて認識したのが、政治的暴力の日常化である。街頭や政治集会で死者が出る銃撃戦があっても、よくある事件なので新聞記事にならない。警察が取り締まりを強化しても政治的暴力はエスカレートするばかりだ。人々はそんな社会に馴らされていく。
常連酒場という言葉を本書で初めて知った。共産党員が集まる酒場やナチ党員が集まる酒場のことである。酒場の店主に政治性があったか否かはわからないが常連客が増えれば商売になる。常連酒場は党派の拠点となり銃撃戦の現場にもなる。飲んで、歌って、銃をとる――そんな情景が目に浮かんでくる。
党派対立型暴力はしだいに「ナチ党 vs 共産党」の暴力に収斂していく。そして、1933年1月のヒトラー政権誕生、1933年3月の全権委任法可決で共和国は崩壊。ナチ党以外の政党は消滅する。党派対立型暴力の時代からナチ党による国家テロ型暴力の時代に移行するのである。
著者は終章で次のように述べている。
「共和国の不安定化の間隙を突くように、暴力の行使をためらわない政党が伸長し、政治は見る見るうちに急進化していった。この意味で、政治的暴力は共和国の政治に深刻な影響を及ぼしていたのである。こうした状況を踏まえた時、「民主主義と独裁」という対比の中でしばしば断絶として理解されてきたワイマル共和国からナチ体制への転換を、連続性の観点から捉えなおす必要も出てくるだろう。」
年表を100年ずらして、本書の内容を現在に重ねて世界を眺めるとゾクゾクしてくる。25年を現在とすればミュンヘン一揆は2年前、ヒトラーは昨年末に仮釈放。昨年12月の国会選挙でナチ党が獲得したのは14議席(議員定数493)にすぎない。国会選挙でのナチ党大躍進は7年後だ。でも過半数には届かない。その翌年にはヒトラーの連立政権が誕生し、3カ月後には全権委任法が可決される。
『ナチズム前夜:ワイマル共和国と政治的暴力』(原田昌博/集英社新書)
民主的なワイマル憲法のワイマル共和国はナチズムを産んで崩壊した。本書はワイマル共和国の時代を「政治的暴力」に焦点をあてて社会史的に描いている。
著者は序章で次のように述べている。
「本書は、政治的暴力の問題が共和国の最初から終わりまで一貫して影を落としており、それが共和国の政治手的安定性を揺るがす負荷になっていたのではないかと想定している。」
ワイマル共和国の前期(1918~1923年)は左翼や右翼による体制転覆志向型暴力の物騒な時代だった。その後、相対的安定期と呼ばれる中期(1924~1929年)を経て、世界恐慌が契機の混乱の後期(1930~1933年)となる。中期・後期は党派対立型暴力の不穏な時代である。本書は、その党派対立型暴力を詳述している。
この時代、政党が絡みの武装組織はナチ党のSAの他に、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団、共和国擁護派の国旗団、共産党のRFBがあった。これらの武装組織が街頭や集会場で抗争を繰り返した。それはプロパガンダとしての暴力でもあった。
本書であらためて認識したのが、政治的暴力の日常化である。街頭や政治集会で死者が出る銃撃戦があっても、よくある事件なので新聞記事にならない。警察が取り締まりを強化しても政治的暴力はエスカレートするばかりだ。人々はそんな社会に馴らされていく。
常連酒場という言葉を本書で初めて知った。共産党員が集まる酒場やナチ党員が集まる酒場のことである。酒場の店主に政治性があったか否かはわからないが常連客が増えれば商売になる。常連酒場は党派の拠点となり銃撃戦の現場にもなる。飲んで、歌って、銃をとる――そんな情景が目に浮かんでくる。
党派対立型暴力はしだいに「ナチ党 vs 共産党」の暴力に収斂していく。そして、1933年1月のヒトラー政権誕生、1933年3月の全権委任法可決で共和国は崩壊。ナチ党以外の政党は消滅する。党派対立型暴力の時代からナチ党による国家テロ型暴力の時代に移行するのである。
著者は終章で次のように述べている。
「共和国の不安定化の間隙を突くように、暴力の行使をためらわない政党が伸長し、政治は見る見るうちに急進化していった。この意味で、政治的暴力は共和国の政治に深刻な影響を及ぼしていたのである。こうした状況を踏まえた時、「民主主義と独裁」という対比の中でしばしば断絶として理解されてきたワイマル共和国からナチ体制への転換を、連続性の観点から捉えなおす必要も出てくるだろう。」
年表を100年ずらして、本書の内容を現在に重ねて世界を眺めるとゾクゾクしてくる。25年を現在とすればミュンヘン一揆は2年前、ヒトラーは昨年末に仮釈放。昨年12月の国会選挙でナチ党が獲得したのは14議席(議員定数493)にすぎない。国会選挙でのナチ党大躍進は7年後だ。でも過半数には届かない。その翌年にはヒトラーの連立政権が誕生し、3カ月後には全権委任法が可決される。
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