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そう思うのは、鳴物入りで世にでた「ボオ氏」も、結局は忘れられた作品になってしまったからだ。26回の連載終了の後、やなせ氏の作品が週刊朝日に載ることはなかったと思う。この作品を契機に、やなせ氏が「本当のマンガ家」になったかどうかは不明だ。受賞時に知名度のあるマンガ家だったのだから、その状況が受賞後も持続しただけのように感じられる。
やなせ氏逝去の報道で「ボオ氏」入選に触れている記事は見当たらなかった。ネットを検索しても、この作品に関する情報はほとんどない。もちろん、その後の「アンパンマン」の大ヒットによって、それ以前の作品の影が薄くなってしまったということもあるだろう。
1960年代のやなせたかし氏は40代で、もう若くはない。そんな中堅マンガ家が鬱屈したショートショートを発表したり「本当のマンガ家になれるかも・・・」などとつぶやく姿が、まだ若かった私(当時10代後半)に気がかりな印象を刻印し、やなせ氏の逝去をきっかけにそれが甦ってきたのだ。
すでに60代半ばの現在の私から見れば、40代のやなせ氏の姿は特殊でも異様でもなく、だれでもがもっている屈折を抱えていただけだとわかる。また、自分自身に正直な人だったのだとも思う。
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